日常カンフル剤 用語解説



閉鎖病棟

 心を病んだ者だけが訪れることのできる、健常者にとってはまるで縁のない入院施設。難しい説明はさておいて、閉鎖病棟への入院形態は三つある。軽いものから「任意」「医療保護」「措置」となり、自分から希望して入るか強制的に送られるかの違いがある。入院経験者でなくとも聞いたことがあるかもしれない「隔離室(保護室)」へ行くのはほぼ保護入院か措置入院患者であり、任意入院患者はよほどのことがない限り用はない。
 閉鎖病棟には拘束帯が存在し、必ずしも着用義務があるというわけではないが、これは隔離室に限らず病室でも使用することがあり、患者の状態により拘束帯を使用することでしか患者本人や医療従事者、また他の患者に対しても他害の恐れなどが見られ、他の方法ではこれを防ぐことが著しく困難であると判断された場合には着用されることとなる。鍵付きの個室がある病室では擬似的な隔離室のように利用することもある。
 また、閉鎖という名の通り、すべての扉が常に施錠されており窓すら開かない。ここに入ったが最後、自力で脱出することは不可能。(仮に脱走が成功してしまうと、いわゆるブラックリストに載ってしまうので、ほとんどの精神科で診察を拒否されることになる模様)
 閉鎖病棟のシステムは病院によってかなりの差がある。大体はハサミやカッターなどの刃物類、外への連絡手段となり得る携帯機器(携帯電話やゲーム機など)の持ち込みは禁止されている。家族や身元引受人などと連絡を取りたい場合はテレホンカードを使用し病棟内の公衆電話を使うか、直接面会するしかない。そのため基本的にはなにもすることがなく、ただただ暇を持て余す。

メンヘラ

 メンタルヘルスを略し、さらにメンヘルに「-er」をつけてメンヘラ。精神的な病を抱えた者を広義に指す言葉。自らメンヘラを名乗る者は、多種多様に存在する病名や自分の症状を、特に健常者相手にいちいち説明するのが面倒なためそう自称することが多い。「鬱は甘え」だの根性論だのを押し付ける輩には「本物の地獄を味わいやがれ」と心の底から思っている。

リスカ

 リストカット。手首への自傷行為を指す。行為に及ぶ衝動は様々だが、リスカすることでストレスを解消する目的がほとんどだと思われる。自傷時には脳内麻薬(ドーパミン)が出るのであまり痛みは感じないどころか、少々の快感を伴う。腕にするアームカット(アムカ)、脚にするレッグカット(レグカ)なども存在する。中には腱を傷つけるほど深く切り、指先を麻痺させてしまうような者もいるため、なかなかに闇が深い。自傷後のそこを写真に収めて記念にすることもある。

OD

 オーバードーズ。薬の過剰摂取。自殺用途のためだったり、現実逃避をしたくて「寝逃げ」するためだったり、動機はそれぞれ。しかしこの単語は健常者にはもちろん、実際にODをしているメンヘラにさえ通じないことがあるので、逆にメンヘラ用語を知りすぎているのもどうかという話なのかもしれない。

ラリる

 主に眠剤(睡眠薬)や安定剤の副作用で酩酊状態となること。あくまで副作用なのでODしなくとも経験することがある。多幸感に溢れ、ふわふわとした気分になる。酔っ払う感覚とはまたちょっと異なる。呂律がまわらなくなり、高確率で健忘を起こすため、自分に合わないと思ったらすぐ医師に相談するのが望ましい。
 どうにも欲望に忠実になるのか、突然大量の物を食べ散らかしたり、欲しかったものを片っ端からネットで購入していたりすることがある。しかし記憶を飛ばした状態で目が覚め、それらの残骸や痕跡を見るのはちょっとしたホラーである。おそらくは夢遊病に限りなく近い状態だと思われる。ただ、その時の多幸感や恍惚感のみに味を占め、薬を乱用してまで再びそれらを体験しようとするのは立派な依存症なので、早期の治療を受けることが重要である。
 余談だが、その記憶のない状態でなにかしたことを俗に「小人がやった」と言う。これは童話「小人の靴屋」で老夫婦の眠っている間に小人が靴を作ってくれていた、という話が由来であり、実際に小人の幻覚を見るわけではない。

詰所

 ナースステーションのこと。「看護婦」という呼称から「看護師」へと統一されたことで、この「詰所」という呼び名になった。ここも常に施錠されているので、中に用がある時は看護師に一度ずつ解錠してもらわなければならない。看護師自身が入退室する際にも一度ずつ施錠と解錠をする。

床頭台

 閉鎖病棟に限らずどこの入院施設にもある、ベッドの脇に置かれたサイドボードのようなもの。小物を入れる引き出しや、ちょっとした荷物を入れられる。薄い板を引き出せばそれが簡易テーブルになる。

躁うつ病

 これは昔の呼称で、現在は「双極性障害」と言うのが正しい。この双極性障害には二種類あり、「Ⅰ型」と「Ⅱ型」に分類される。作中では名称の一般認知度が低いと判断して「躁鬱」としたが、本作の主人公は「Ⅱ型」である。このふたつの違いは「Ⅱ型」が一年のスパンで見るとほとんど鬱病と見分けがつかないほど気分が沈んだまま過ごす期間のほうが長いというもの。対して「Ⅰ型」はまるでジェットコースターのように短期間で激しく躁と鬱を繰り返すというものである。
 なにがトリガーとなるかはわからないが、ぽんと躁のスイッチが入るといきなりハイテンションになり、普通の日常生活を送ることができるようになるため、「調子がよくなった」と勘違いすることも少なくない。鬱の状態から変調することを「躁転」と言う。
 症状としては、多弁になったり、落ち着きがなくなったり、睡眠を取らないまま過活動になったり、多額の衝動買いをしてしまったりなどがあるのだが、かえってウルトラ躁状態のほうが自覚しにくい。周囲の人間に指摘されて初めて気付く患者も多い。
 先述したように「Ⅱ型」は基本的に鬱状態なので医師も最初から双極性障害だと診断を下すのは難しく、また、本人自身も躁状態を自覚していないと、正式な病名がつくまでに何年もかかってしまうケースがある。ここで問題なのは「鬱病」と「双極性障害」では処方されるべき薬の効能がほぼ真逆であるために、正しい薬効が得られないことで患者が苦しむ期間が長くなってしまうことにある。そしてなにより厄介なのが、一般的な鬱病は寛(かん)解(かい)すると病院通いをしなくてもよくなるのに対し、双極性障害は一生治らないと言われており、薬剤治療で感情をフラットに保つ必要があるため服薬をやめることができない。病気とうまく付き合いながら自分なりに折り合いをつけ、なんとなく納得しながら「生きてるだけで丸儲け」だと考えることが肝要である。

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