その人をその人たらしめるもの
先日、『光る君へ』のなかで、紫式部が自らが仕える中宮彰子にこんなセリフを言っていました。
「暇(きず)とは大切な宝なのでございますよ」
「瑕(きず)こそ人をその人たらしめるものにとざいますれば」
字幕を見て、『傷(きず)』という漢字ではなく、『瑕(きず)』という漢字が使われていたので、改めて意味を調べてみました。
『傷』は切るや打つなどして皮膚や筋肉が裂けたり破れたりした部分のことや物の表面の裂け目や欠けたりした部分のことなどの怪我や壊れたなどのニュアンスで使う言葉になり、派生して心の傷というふうに外側から受けた心のダメージのことも言いますが、『瑕』は人の行為や性質などの好ましくない部分や欠点を意味しているようです。
なので、このセリフは言ってしまえば「あなたの欠点こそあなたをあなたたらしめる宝なのですよ」ということ。
でもいわゆる欠点、つまり好ましくない性質や行為の背景には、結局生まれてから受けた心の『傷』が在ることがほとんどなのではないでしょうか。
脚本家の方がどんな思いでこのセリフを書かれたのかは想像するしかないのですが、わたしは「あなたの『瑕』、つまり人生のなかで感じた悲しみも絶望も理不尽も苦しさも嫉妬も胸の辛さも自分を恥じる気持ちも、そしてそれを抱えてしまっているからこそのあなたの行動や言葉も、全部あなたをあなたたらしめている宝なのですよ」と受け取りました。
そしてそれはだからこそ、そんな自分の瑕を宝に昇華させるのは自分次第だということでもあると思うのです。
(余談ですが、紫式部が自分の瑕を宝として昇華させたひとつのカタチが『源氏物語』だと感じています。もちろんこのセリフはドラマの中のことですが)
瑕を見つめ、その瑕ごと自分を許すことは、「この瑕ごとわたしだから受け入れて」と他者に要求することではなくて。
自分でそんな瑕だらけの自分を許すからこそ、それを宝として他者や世界に差し出せる、あるいは宝として受け止めてくれる他者と出会えるのだと思います。
『傷』が多いほど、深いほど、大きいほど『瑕』も多く深く大きくなり、見つめ昇華するのも大変になるのかもしれません。
でもその分宝にできたときの美しさも多く、深く大きくなる。
そう思わないとやってられないからそう信じたいだけかもしれませんが、そう信じています。
あなたもわたしも、瑕を自分たらしめる宝として生きられますように。
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