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私を産み育てた両親について

ご自分の両親のことどんなふうに捉えていますか?

私は三姉妹の長女として生まれました。
母方の初孫 父方では、長男の初孫になります。

自分自身の記憶を辿ったときに思い出せるのは3歳ごろだろうか・・・
幼稚園に行き始めてできたお友達と一緒に遊んだり、お遊戯や手作業をしていた記憶がある。「大きくなったら結婚しようねー」って話しを交わしましたが、私は引っ越しのため幼稚園を転校することになった。

両親は看護師で、あの時代昭和50年代に男性の看護師はかなりめずらしかったかもしれない。病院の立ち上げに携わっていたこともあり、よく病院の中で過ごすことが多かった。
幼稚園を休む日には、母の職場へ連れて行かれ空いている個室で過ごすなんてこともあった。今考えるとものすごい時代だなと思いつつも、そのオープンな姿の方が働きやすいのかもしれないなんて思うこともある。

いつ頃だっただろう・・・
父がICUの管理職をしていた時に連れられてたくさんの医療機器につながれた横たわる人を眺めたことがある。なぜ、そんな姿なのか・・・。その理由が知りたいと思った。

両親の喧嘩
家庭内の会話は多い方だ。だけれどもお酒が進んだりするとまぁ、喧嘩が多かったんじゃないかと思う。家庭内での暴力もそれなりにあったし、あの時代は殴られることが躾って美徳のような歪みがある時代だったけど、子どもだった私が眺めて感じたことは「お願いだからやめて」ってこと。
どれだけ、意見が食い違えようと感情が昂ぶろうと
そこに暴言や暴力に置いて何も解決できない怒りの渦があるだけ
子どもの私には止められない。
そばで見ながら涙が流れるだけ。
そんな両親だが、今も離婚せず一緒に生活しているんだから、夫婦ってのはよくわからないもんなんですよね。

そんな二人を見ていたから、自分は子どもにそんな姿を見せないようにして行きたいと考えてた

けど、今、夫婦をやって見て思うのは、子どもたちに関係性を隠さずに見せていくことは子どもたちにとって大切なことだと思った。

言いたいことを伝え合う。
そんな考えや感じ方が違うことをどうすり合わせていくのか

話し合おうとする中で、上手に感情コントロールをしながら
うまくやり取りできないこともあるけど、そんな失敗も怯まず見せるし
悩んだら言葉にすることを心がけて結婚生活14年を迎える。

夫との境界線の持ち方を適切に持つこと。
家族でも、個人のパーソナルエリアがあることを意識できることが大切なんだなーとあらゆる人間関係で感じる。

100%の人間は存在しない中でも、
信頼という姿勢を常に見せ続けてくれた両親である。

親を選んで生まれてきた私が、得たかったものなんだと思う。

母は一生懸命に育ててくれてきたが
育児の疲れを子どもにブチまけてくることも多かった。
そんな影響もあってか、小学生の時に「死にたい」と強く思った日も鮮明に思い出せる。今専門職の視点からすると希死念慮のある学童は支援対象だ。なーんて客観的に見える自分のこと。

あの時は、母自身 一生懸命だったからだろうと今は思える。

自分が思うように理解してもらえないことも多々あるが
それを望まないことを選択したら気持ちが少しだけ軽くなった。
わかってる。わかってほしい。その気持ちが交り切ってしまう日はないのかもしれないが、それぞれの人生が有意義ならそれでいいかとぐじゃぐじゃな気持ちに終止符を付ける。

そうやって区切りを付けることも大切だね

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