見出し画像

ぼやぼやとした映画を観た後は

輪郭を脚本に置き忘れてしまったようなぼやぼやとした映画を観た後は、帰り道にレビューサイトを開いて感情の置き所を探す。1800円も払ったのだ。原色ほどくっきりとはいかずともその映画の色彩くらいは掴みたい。

だけれども、漁っても漁ってもその濁りは消えない。ぼやぼやとした映画は、明確な色を持たないからこそ観衆の目によって色づれられ、虹のような、はたまたゴミのような、美しさと醜さの境界線でずっと風に踊らされたビニール袋みたいに中途半端に浮いている。

あぁイライラする。思いやりがない。わたしは作り手は観客に明瞭な色を残すべきだと考えるので、原色に辿り着く目処も立たない映画は好きじゃない。黒なのか白なのか、綺麗なのか汚いのかハッキリして欲しい。お洒落ぶってカッコつけるのはいいかげんにして欲しい。

だけれども、ふと思う。自分の理解に及ばないものをカッコつけと決めるけることは、自分は自分しか信じない視野の狭い大馬鹿者だと宣言することと同義かもしれない。いや、そもそも作品に意味があるべきだという思考こそ傲慢だろう。別に作品はただそこに在るだけで、お金を払って観にきたのは私の方なのだ。

何かを見た時食べた時聴いた時、なんかその意味、中核、真ん中、真実、そういった類のものを見つけたくなるのだが、そんなものは常に在るわけではないし、なくたっていいし、想像でいいのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?