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故郷を手放した代償。

帰省をするたびに感じる、手放したものを突きつけられる感覚が少し苦手です。

東京にいる間は、ただ毎日を消化するのに精一杯で日々が過ぎていくけれど、帰省するとそれらの全てが故郷を手放した代償の上で成り立っていることを実感します。

毎日歩いていた道を半年ぶりに歩く。
毎日会っていた人と1年ぶりに会う。

それは、わたしの毎日が別のものに成り変わってしまったということを意味します。

人が両手に抱えられる器量は成長しても大して変わらなくて、大人になって手に入れたモノはあの頃握りしめていた大切なことと引き換えなんですよね。

選択するときは「選ぶ」ということに意識が向きすぎて、ついその選択によって生じる犠牲を忘れてしまいがちになります。だからその代償をズシリと突きつけられると、心の奥底がキュッと縮こまります。私は、こんな貴重な時間を犠牲にして東京に住んでいるんだ。

何かを選ぶ時に生じる、他を切り捨てる痛みというものはいつだって慣れません。遠くに住むことを決めた私は、新幹線で1人感じる秋の訪れのような小さな孤独感を引き受けていかなければならない。

たけどこの感情はきっと悲しいことではなく、人生を彩ってくれるものだ。そして、手放した代償としてふさわしいものを掴んでいかなければいけない。いや、きっと掴んでいける。そう信じて束の間の帰省を楽しみます。

あ、東京の方が語呂いいからそう書いたけど住んでるのは千葉ですね!

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