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電気グルーヴを語る

電気グルーヴを語る。
出会いは、高校生のときに聞いたオールナイトニッポンだった。そのときの私は、高校から近いおばあちゃんの家に住み、深夜ラジオ聞き放題だった。
田舎だったから、ラジオぐらいしか深夜の楽しみはなかった。
あんまり思い出せないけど、私は、はみ出すことはなかったけど、学校にいまいちハマってなかった。理由は、まだ言いたくない。
オールナイトは、めちゃくちゃ笑った。話が面白くて。意味がわからないこともあったけど。
学校や私が見ている世界がすべてではないと、楽しいことはあっちにある!
そう思わせてくれたのが、電気だった。
それってあの頃の私には、かなり重要なことだった。
たぶん絶望せずに、あの頃を笑いながら、生きてこれたのは、電気のおかげだった。
ライブにも行った。友達と。一人でも行った。
音楽がかっこいいとか、そういうことだけでもなかった。
電気が好きと言うと、
「あぁ、電気グループね」
と言われて、
「プじゃなくて、ヴね!」
というお決まりのやり取りも何度したかわからない。
電気ファンだというと、露骨に嫌そうな顔されることもたびたび。
イケメン好きじゃないのねとも何度言われたか。
だって人をけなすことで、笑ってたところもあったと思うから。
だけど、きっと今なら言っちゃったら、大炎上なことをばんばん言ってるけど、いつも嘘を言ってるとは思わなかった。
やがて電気は、宗教みたいに信者みたいなファンも出てきて、紆余曲折の末、逮捕もされちゃうし、でも、今、思うのは、電気は電気でしかなくて。
私の人生のテーマ曲は、長年「March」だった。

「いいことしか残らないよ 思い出なんて」の歌詞でやり過ごしたこと。

勝手な印象だが、昔の電気は、周りに理解されていなかった。こういうかっこいいことをしたいというのがあっても、すべてうまくいってるようにも見えなかった。
私が、昔、したかったことは、いつか電気グルーヴと仕事をすることだった。
それは、高校のときに読んだインタビューがあまりにひどかったから。
もっと面白い話ができるはずなのに、上から目線のインタビューに腹が立った。悔しかった。
今の電気は追えてないけど、昔より、自分たちと仕事をしたい人とやれているのかなと思う。
昔、やること全部やりきったのかな?と思ったときもあるけど。
1つ、どうしても語りたいのは、瀧と卓球の関係性だ。
人生から電気になって、瀧不要論みたいなのが一時期あった。なんで楽器もできない瀧がいるんだと。けど、やっぱ卓球には瀧が、瀧には卓球が必要なのだ。あの関係性こそ電気なのだ。音楽性ではなく。あの2人の意味のない会話を聞いていると、あのテンポには誰もついていけない。
ああいう相棒を人生において持てたなら、鬼に金棒だろう。
またライブ行けたらいいな。お金ないけど。

(おしまい)

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