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「奇特な病院」ぐっとこらえる科

※連作短編小説ですが、1話でも完結します。

第25外来:ぐっとこらえる科(担当医 野口めい)

「なんでそんなこともできないの」
「いつも同じことをなぜ繰り返すの」
 そんな風に責められても、反撃を口にすることもなく、ぐっとこらえる。
 言いたいことを全部相手に伝えられている人は、どのくらいいるのだろう。
 生きている以上、どこかでぐっとこらえながら、生きてるものなんじゃないかと私は思うの。
 だから、患者さんの口に出せない苦しみを少しでも軽くなるように、私は耳を傾ける。
 ぐっとこらえて口にしなかった中に、素晴らしいアイデアや言葉が隠れてしまっていないかが心配だし、自分でこらえたと思うのならば、そこに少なからず感情の動きがあるはずだから、それを感じることは大切にして欲しいの。
 定年を迎えたという野川さんは、とどめの一言について話してくれた。
「人との関係性の中で、それを言ったら、その人との関係は終わってしまうと思うから、飲み込んで、ぐっとこらえた言葉がある」
 そう言いながら、野川さんは、晴れやかに続けた。
「こうして先生にぐっとこらえた話をさせてもらっているが、俺は、あのときの俺の行動は間違っていなかったのだと思っている。それで、周りとの関係が壊れずに続いている面もあると思うからなんです」
「そうですか」
「だけど、少し俺にも時間ができて、ちょうどこの奇特な病院の新聞記事を読んでいたら、ぐっとこらえる科というものがあると知って、そう言えば、いつも俺は、ぐっとこらえて人生を歩んできて、これからもぐっとこらえながら生きていくだろうけども、誰かにそのことを話したいと思ったんです。だから、受診しました」
「そうですか。ずっとこらえてらしたんですね」
「そうなんです」
 そう言う野川さんの目は潤んでいた。
「野川さん、また話したくなったら、いらしてくださいね」
「そう、頻繁にこらえることはもう起こらないと応援してくださいよ」
 別れるときには、野川さんはそう言って笑っていた。
 別にこらえるのが悪いこととは限らない。そうあなたがこらえたことで、円滑に事が進んだことも少なからずあるだろう。
 でも、いつでも話したくなったら、ここへいらしてください。
 宣伝になりますが、奇特な病院には、涙こらえて科もありますので、そちらの方もよろしくお願いいたします。
 どうかこらえすぎて、身体に不調など起きませぬように。

 お大事に。

(第26外来は、わざと科です)

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