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「奇特な病院」わざと科
※連作短編小説ですが、1話でも完結します。
第26外来:わざと科(担当医 浜口清)
わざと伝えなければならなかったことを伝えなかった。わざとそうしなかった、あるいは、わざとそうした。
わざと何かをする人は、頭の良いとされる人が多いような気がする。
学歴の高い人の方が、先に何かを思いつき、わざと自分の損得に任せて何かを行うということが多いように私には見える。
僕は、この科を受け持っていて、心がどうもすっきりしない。なぜか。うんざりするからだ。人を陥れようとする人があまりに多いことに驚く。
まっ、専門外来だからそういう話を聞く機会が多いのかもしれない。
つまり、常に足の引っ張り合いの世界というやつだ。
わざと誰かを仲間外れにしようとするやつは、策略家なのかもしれない。
善良な人というと、少し損しやすい。傷つけられることも多いし、傷つきやすい。わざと科の問題は根深い。
自分より能力のあるものや何か自分より持っているなど、嫉妬からわざといじわるをするということもある。自分より優れているからいじわるしてやろうと何かされる。
わざと科には、わざと何かしてしまったという人からの相談は少ない。
もしかしたら、性善説を取るならば、無意識でわざとやっているとは限らないというのか。
しかし、私は、その説には同意できない。
まっ、生きている以上、自分が損ばかりしているわけにはいかないのだろうけども。
では、この科で、「わざと」をなぜ問題視しているのか。
傷つく人がいるからである。
「わざと傷つく言葉を選んで私に注意する」
そんな人がいたら、僕は被害者に同情をする。
僕自身生きてきて、どうしても底意地の悪い人という人に少なからず傷つけられたことがある。はっきりと彼らは、意志を持って、僕を傷つけてきた。
わざと僕の容姿をあざわらった。僕の目の前で。僕にはっきりと聞こえるように。
いじめとまでは言えないかもしれない。でも、僕は、そういう人を傷つけようとする意志を持った底意地の悪い人がわざとしたことに、傷つけられる人を少しでも減らしたいし、助けになりたい。
この世の中の人が、みんな性格が良くて、人のために動いている世の中じゃないから、この科の意義があるのだと思っている。
「浜口先生、この話聞いていて嫌になりませんか?」
と患者の張本さんが言った。
「はい、なりますとも。やり返せとも思います。わざとね」
そう言うと、張本さんは笑った。僕は続ける。
「わざと科なんかいらない世の中ならいいと思いますよ」
本気でそう思っている。今も苦しむ人がいるなら力になりますよ。
お大事に。
(第27外来は、暇科です)
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