人間をコンテンツ化しない話

人間をコンテンツ化しない話。

いつだったか「人間をコンテンツ化するな」という言葉をTwitterで見て、(自分なりに解釈して)私もそう「しない」ことを意識しています。

まえがき:推しはいますか?

あなたに推しはいますか?「推し」の定義は置いといて、一般的な感覚にして「タレント(声優)」「アーティスト」「2次元キャラクター」などがよく「推し」として挙げられます。悪いようにはしないので、読んでいるあなたもなにか自分の推しを思い浮かべながら読んでもらえると、具体的に理解しやすいかもしれません。
自分の推しが思い当たらない人には毒にも薬にもならない話をするので、ここで読むのをやめて頂いていいと思います。

ファンの性

「推し」という概念が使われる時、かならずその推しを推す側の存在があります。オタクとかファンとかいうやつです。

一旦ここで「推し」自体の話からは離れて、「オタク」「ファン」の方に焦点を移します。これらは"特定のものを好きな人たち"の総称として使われますが、これらの人はしばしばその好きなものに対して詳しくなろうとします。キャラクターのステータスを覚えたり、曲の歌詞のルーツを紐解いたり手段や内容は様々です。おそらく脳内に好きなものの占める領域が増えることを幸せに感じるんでしょう(科学的には知らないのでこの脳内云々は適当を言っています)。

自分より詳しい人を凄いと思ったり、古参ファンを羨ましく思うのも、自分の知らない知識や自分が得ることのできない過去の体験やを古参ファンが持っているからでしょう。

要点:ファンやオタクは好きなものへの知識を欲する。

私の身近なコンテンツで例を挙げると、シンデレラガールズのファン(プロデューサー)には、推し(担当アイドル)の誕生日を欠かさず祝うことはもちろん、イラスト内に登場するモチーフの意味(過去のストーリーや別カードとの関連や、花言葉など)を調べたり、新カードが何日ぶりに登場したか数えていたり、そういった人たちがいます。

人間のコンテンツ化とは?

すぐさま本題です。
「人間のコンテンツ化」とはつまり、「人間」に対してもこういったコンテンツに対するものと同じ接し方をすることです(私の解釈です)。
先に「推し」の例で挙げた「タレント(声優)」「アーティスト」「2次元キャラクター」でなら、前二者に対してです。

例えばキャラクターのカードイラストなら、背景に映っている場所のモデルがどこなのか突き止めると賞賛されたりしますが、人間がインスタに上げた写真を見て背景から場所を特定するのは大概「気持ち悪い」とされます。

何が違うのかって、この場合ファンやオタクが推す先にあるのがコンテンツではなく人間である点です。アイドルの歌唱はコンテンツですが、アイドルのお昼ご飯はコンテンツではありません。プライベートです。
コンテンツに対して「この曲が歌われたのは1stライブ以来○年ぶり!」みたいなことを言うのは大丈夫です。知識がある凄いファンです。これがプライベートに対して、コンテンツに接するのと同じように「この人が誰々と遊びに行ったのはいつぶり」みたいなのをデータとか知識の披露のようにやると、「気持ち悪い」になります。

これが、「コンテンツ化」です。


人間のコンテンツ化をしない

コンテンツ化の例として、「イベントや配信で着た市販の衣装を見てブランド・商品を特定する」というのがあります。これについては女性ファンが衣装特定アカウントを作ってやっていたのに対して、実 際 に 女性声優が苦言を呈していた例を知っています。

いつどの店に行った、何を食べた、何をした、何の曲が好き、というのは表に出る職業の人間ならラジオのフリートークなどで「プライベートの切り売り」として出てきますが、そういったプライベートに属する話にになってくると、それを細かく記憶しているのは気持ち悪がる人が増えてくると思います。
知っていること、記憶していること自体は悪くありません。本人がプライベートの切り売りとして公にしているからです。ただそれをメモしているとか、データベース化しているとかになってくると、段々話が変わってきます。

明確な線引きはありませんが、度が過ぎて本人に少しでも不快感を与えるようなことがあれば既にアウトです。やめるべきです。

例えば、自分のツイートを見た友人が「最近なんか早起きしてない?」と言うのは普通の会話ですが、「今まで7時だったのに17日前から平日は毎日5時に起きてるんだね、どうかしたの?」って言われたらどうでしょうか。お前がどうかしています。
タレントにおいても同じく、自分の行動が他人にデータベース化されるのは不快感があるでしょう。たとえ公人(有名人などを含む広義)でも、人間であることは同じだからです。

タレントは公人なので本人の公開する範囲においてプライベートが不特定多数に公開されるのは仕方ありませんが、百歩譲ってファンがそういったプライベートを記憶したりデータベース化したりするまで問題ないとしても、その情報はインターネット上に置くのではなく、他人に公開されないものとしてあるべきだと考えます。

繰り返しますが、明確な線引きは存在しません。対象が人間だからです。「ファンの人こんなに私のこと知ってくれて嬉しい!」と「それなんで知ってるの/覚えてるの…気持ち悪……」の境目は人それぞれ、本人にしかわかりません。前者の範疇である限りは私もいいと思いますが、閾値はわかりえないので、ほどほどにしておくべきと思います。


コンテンツ化、気をつけていきたい。




おまけ

ここまで述べた通りなので、線引きについて私の見解を述べても意味はないのですが、事のついでなのでおまけとして書いておこうと思います。(本文中に含めると読みづらくなるので分化させたもの)
例えば、

「ライブ・イベントへの出演記録」「アーティスト活動や演じるキャラクターとして歌った歌の記録」は明確にコンテンツ上のものなので問題性は低いと思います。
しかし、そのイベントや歌唱に関しての「ラジオで話した感想」「イベント後のツイート」の記録は、発言自体の記録になってしまうので、コンテンツに関するものであっても取り扱い方によっては怪しくなってくる気がします。

イメージとしては、一般的にWikipediaに書かれるような大きな内容("このステージに立つのが小さい頃からの夢だった"とか、"目標としていた人と共演できた"とか)であれば大丈夫かと思いますが、細かい内容を網羅的に("この曲のサビはこれを意識して”とか)、すなわちデータ的に取り扱うようなことは表立ってはやめたほうが良いと考えています。

その発言や情報を記録する理由が「心打たれたから」ではなく「推しの全てを記録してやる」になっている場合はその点非常に危険。


お渡し会・お話し会で話した内容をTwitterでべらべら公開するのも「コンテンツ化」だと思います。
「あの曲歌えてどうだった?」『あの曲はね~!』
というお話し会の中ではただの会話でも、それをTwitterで
「あの人あの曲実はこうだったんだって!」って公開するのは「人との会話」に対してする取り扱いではありません。それはインタビューです。お前の推しはお前にインタビューされるためにお話し会を開催しているのか?違うでしょう。

これについても「お話し会の会話内容」や他にも「ファンレターの返事」について、複数のタレントが「そのファン個人の対してしているのだから、他の人に見せないで欲しい」といったことを言っているのを見たことがあります。
「こんなことを言ってくれて嬉しかった」はあなたの感想ですが「"こんなこと"って言ってた」はただの発言の記録、コンテンツ化に足を踏み入れています。

これについてはコンテンツ化どうこうより「推しとの接近戦について親しい友人と飲み会で話す」のか「Twitterで不特定多数に公開する」のかというところに問題の線引きがありますが。

以上おまけでした。

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