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出会いは必然か偶然か

どうもー1週間ぶりです。ぱっぷこーんとのジミ・ヘンドリックスこと、須田です。

早い、早すぎます。1週間に1回メンバーで持ち回りでnoteを上げて行くのが、このぱっぷこーんと、のルールなんですが、須田は普段、文章などを書く事が皆無ですし、前回のnoteにも書きましたが、パソコン触れないし、携帯も上手く駆使出来ないし、フリック入力出来ないし、今もnoteを書きながら、他の人は右上に今書いてる文字数が出るらしいのですが、須田の画面の右上には、それが出てません(°д°)なんでなんだろうか?謎のままです。そんなアナログ原始人なのが、一生懸命、文章を書いてると思いながら読んで下さい。

そんな私は、お笑いを始めてから19年くらいになるのですが、そのうちパップコーンとして活動してるのは16年になります。厳密に言うと、出会ってからパップコーンが出来るまで、2年くらいあったので、今のメンバーとは、18年くらい一緒にいる訳で。計算してみると、小学校、中学校、高校、大学に通っていた年数よりも長くいる事になります。

改めて振り返ると長い。めちゃくちゃ長い時間いる。しかも、パップコーンメンバー3人は、出会うまで、高校も違えば、大学も違う(芦沢と松谷は同じ多摩美術大学だけど、学部が違うので、通っている校舎が違った)そんな3人が18年前に、ある人の紹介で突然出会ったのだ、当時、芦沢はまだ芸人ではなく、松谷は中学、高校の同級生とコンビを組んでいて、須田はバイト先の後輩とコンビを組んでいた。

その当時、お笑いコンビを組んだものの、ライブの出方も解らないまま、ただただ、ネタ作りをしていた須田に、サークル(サッカーサークル)の友達が

「後輩に落研のやつがいるから、ライブ出たかったら紹介するよ」

と、1人の後輩を紹介してもらい、ライブに出る事となり、そのライブに一緒に出ていたのが、松谷のコンビだった。

松谷は中学校、高校と同級生とのコンビで文化祭などでネタをやっていたので、松谷のコンビのネタを初めて見た時は、面白すぎて笑劇を受けた事を、今も鮮明に覚えている。須田は後輩とのコンビで、初めてネタを人前でやるので、緊張して、頭真っ白のままネタをやった記憶がある。うけたのかすら解らないし、下ネタで女の子がひいていた記憶もある中、終わりで松谷から

「めちゃくちゃ面白かったぁ。こんな面白い人達居るなら、もうちょっとお笑い続けてみようかなぁ。」

って言ってくれた事も覚えている。

当時、松谷は多摩美の演劇部に所属していて、お笑いを最後にして、演劇部に力を注ぐ為、お笑いを辞めようと思っていたらしい。

そんな時に、須田と松谷が出会い、松谷がお笑いを辞めずに、続けてみようと思った。

はい、みんな、ここー。

ここなんです。

この時に、松谷と須田が出会った事で、松谷はお笑いを辞めなかった。出会わなければ松谷はお笑いを辞め、演劇への道へと没頭していた。そう考えると、この2人の出会いは必然だったのか、はたまた偶然だったのか。

須田は

必然

だと考えます。

出会いは決まっていたんだと思います。ただ、タイミングは偶然だったのかもしれません。あのタイミングで出会わず、松谷が演劇の道に進んでいたとしても、きっと松谷とは別の形で出会っていたと思います。でも、あのタイミングで出会った事が今のパップコーンが出来上がっている必然的な出会いなんだと考えています。

出会いは必然であり、タイミングは偶然なんだと思います。

その後、芸人ではなく、面白い事をやっている奴がいる。と芦沢を紹介してもらい、芦沢とも必然的に出会い、芦沢が入った事でパップコーンが出来上がる要素が、より強固になって行ったんだなと。芦沢とも、あのタイミングで出会わなくても、その先に必ず何処かで出会っていた筈です。

ですから、今回、こうして立ち上がった

ぱっぷこーんと

のメンバーも必然的に出会い、偶然のタイミングでこの企画が始まったのだと。

そして、このnoteを読んで頂いてる皆様も

必然的に今、この文章を読んでいる。

そう思うと、何か楽しいなと。

平林監督が昨日のnoteで上げていた

5年以内に国技館でコント

それを実現する為にこのメンバーが集まったってなるように、今後も楽しんで行きたいと思います。

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明日は必然的に勝俣さんです(*´罒`*)

宜しくお願いします😄

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