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アリベルト・ラージンを知っていますか?

この記事は、言語學なるひと〴〵言語学アドベントカレンダーの13日目の記事として執筆されました。

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#言語学な人々 #言語學なるひと 〴〵

アリベルト・ラージン

みなさんは、アリベルト・ラージンを知っていますか?

ウドムルト人研究者(哲学准博士)で宗教家、ウドムルト語保護の活動家である、アリベルト・アレクセーヴィッチ・ラージン(Разин, Альберт Алексеевич)は、2019年9月10日の朝、ロシア連邦ウドムルト共和国の首都イジェフスクの共和国議事堂前広場で、ウドムルト語の保護を訴える宣伝活動を単独で行なったあと、焼身自殺をはかりました。救急病院に搬送されたあと、病院で死亡が確認されました。79歳でした。

この日、広場に立ったラージン氏は、2枚のプラカードを手にしていたそうです。それぞれに書かれていたのは以下の言葉でした。

И если завтра мой язык исчезнет, то я готов сегодня умереть.
「もし明日私の言語が消えるならば、私は今日死ぬ覚悟ができている」
これは、アヴァール語が母語のダゲスタンの詩人ラスール・ガムザートフ(Расул Гамзатов;1932ー2003)の作品Родной язык「母語」の一節だそうです。

Есть ли у меня отечество?
「私に祖国はあるのか?」

Есть ли у меня отечество?「私に祖国はあるのか?」

ラージン氏とウドムルト語

アリベルト・ラージンは生前、ウドムルト人の子どもに、母語であるウドムルト語で教育が行われるようになることを主張していました。ウドムルト語は、ウラル語のひとつで、2020年の国勢調査によればおよそ39万人のウドムルト人がロシアに居住し、およそ26万人がウドムルト語を母語としてあげています。ウドムルト人の多くは、その民族名を冠したウドムルト共和国とその周辺に居住しており、ソ連時代から継続してウドムルト語での教育が行われてきました。社会生活は主にロシア語を用いますが、ウドムルト人同士ではウドムルト語を用いることも多く、研究者層の厚さや、国外とのつながりから察すると、ロシア国内のウラル語の中でも、非常に活発に使用され、維持されてきた印象がありました。

そんな状況の中、なぜラージン氏は、自らの死をもってしてまで、ウドムルト語の保護を訴えたのでしょうか?その背景には、2017年以降のロシア連邦の言語政策の転換があったと考えられます。

ロシア連邦の言語政策(2017年〜)

2017年7月20日、ロシア連邦のマリ・エル共和国の首都ヨシュカル・オラを訪問していたプーチン大統領は、民族間問題について話し合う会議の席上で、初中等教育でのロシア語教育に触れ、以下のような発言をしました。

「ロシア語は連邦の国家語で族際語である。何かで置き換えてはならない」
「母語でない教育を強制されることも、ロシア語教育のレベルを下げることも許容できない」

この背景には、タタールスタン共和国で、全ての共和国民に対して国家語(государственный язык;state language)であるタタール語の教育が義務付けられていたことに対し、あるロシア人の保護者が教育権の侵害を訴えたことがあったようです。プーチンはその後、人権(教育権)の問題としてロシア連邦全土の民族語教育について調査と対応を指示し、結果的に「民族語教育を選択制にすること」と「(民族語の)授業時間数を最大で週2時間にすること」を法律化させました(2018年)。タタールスタンを例にとると、以前は週あたり最大で5〜6時間行われていたタタール語母語話者に対するタタール語教育も、週2時間になってしまったとのことです。もちろんこの影響は、タタール語以外の民族語にもおよび、全ての民族語教育が、大幅に削減されることになりました。

それでも保護者の申告にもとづいて、「ロシア連邦の国家語としての民族語」あるいは「母語としての民族語」の教育が受けられる法的な基盤はあったのですが、学校施設や予算の制約、「民族語の教師が見つからない」などの理由で、学校によっては申告をしても民族語で教育が受けられず、かといって通える範囲に民族語の教育が行われている学校がないなどの理由で、民族語の教育を受けることを諦めざるをえないケースもあったということです。

実はソ連時代の1958年から59年にかけて、フルシチョフによって教育言語(学校)の選択制が導入され、その結果ロシア語への同化が進んだということがありました。ですから、民族語教育を訴えていた活動家たちには、2017年以降起こった転換が、かつて行われた同化政策の焼き直しであると感じられたのでしょう。もちろん、多くの人々が、この転換について異議を唱えました。アリベルト・ラージンの抗議はその中で、最も悲しいケースになってしまいました。

21世紀になって、地球上の全ての国家が、多様性の大切さを認めるようになったと感じられます。しかし、今なお自分の言語や文化を守るために傷つき、傷つけられるのはどうしてなのでしょうか?

アリベルト・ラージン氏のことは、これまで研究会で話したことはあっても、論文化したりしたことがなく、日本語ではニュース記事なども出てきません。彼のことを記録に留めておくべく、連投(しかも大遅刻!)になりましたが、ここに書かせていただきました。あらためて彼のことに思いを馳せる時間を持ちたいと思います。

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