親が子供の勉強を見ること ~我が家の失敗談~
前回の記事で「親が子供の勉強を見ることの是非」という話題を扱いました。親の期待値が高すぎるとどういう結果を招くのか、という我が家での実体験をお話しします。つまり失敗談です。
完全無塾ではなく、ほぼ無塾という表現をこの連載でしているのは日曜特訓という講座に6年生の秋から参加したためです。
その日曜特訓というのは、毎週日曜に半日程度を使って実施される講座で、中高一貫校の適性検査を模した問題を一斉に解き、その後に講師の先生が解説をしてくれるという形式のものでした。
コロナ禍でしたので我が家ではzoomを使ったリモートでの受講でしたが、塾の教室で受講している生徒さんも多くいました。というよりも教室での受講枠は本科生でほぼ埋まっているので、うちの息子のような外部生にはzoom枠しか空いていなかったと言った方が正しいでしょうか。
zoom組には前日までに問題用紙や解答用紙が郵送されてくるので、当日それを解き、解説を聞いた後で翌日までに塾へ持って行くと採点してくれて、志望校別の順位や偏差値を後日レポートとして提供してくれるという流れになっていました。言わば模擬試験を毎週末に受けているような感じですね。
zoom授業をどういう形で受けていたかと言いますと、ちょうどコロナ禍で私が在宅で働いていたデスクがありましたし、日曜は私はその環境を使わないということで息子のPCをそのデスクにある大型のモニタに繋いで快適な環境で受講させてあげていたわけです。
終わった後には、分からなかった問題や、zoomで解説してくれなかった問題(全部の問題が詳しく解説されるわけではなかったようなので)を一緒に復習したり、私が解説してあげたりしていました。
で、何が起きたかということですね。
まさかの答案書き換えが発生
いわゆる「密室」で模擬試験を受け、その後にzoom授業による解説を聞くという流れの中で、間違って解答した問題を正解に書き換える、という行為を息子がしていることにある日気づきました。
息子にそれを問い質すと、あっさりと認めました。
我々大人が普通に考えると、模擬試験でカンニングをしたり解答をごまかしたりすることに意味はありませんよね。
それによって自分の点数が水増しされたところで実際的なメリットはありません。トップクラスの成績を取れば何かしらご褒美がもらえるというならまだしも、それで受験の合格可能性が上がるわけでもありません。
自分がライバルたちの中でどのくらいの位置にいるのかという情報を得る機会を失うわけですからむしろデメリットが大きいわけです。
息子が解答書き換えに手を染めた理由を聞くと以下のようなものでした。
1. せっかくお金をかけて日曜特訓を受けているのにいい点が取れないのは申し訳ないと思った
2. 自分がいい試験結果を得られたほうが親も喜ぶと思った
3. 点数が低いのは自分でもみじめな気持ちになる
ここで大きな反省点に私達夫婦は気づいたわけです。結局、息子は親の顔色を窺って勉強をしているだけだったということに。
私はサラリーマンですが、世間の平均よりも少し高めのお給料を頂いていますので、大金持ちではないにせよ日曜特訓のお金を「頑張って捻出した」という意識はありません。塾に通わせなかったのも絶対的にお金が無かったとかケチったからというわけでもありません。別に「高い塾代をわざわざ出してやる」という感じのコミュニケーションをした覚えもありません。それでも1.のように息子が考えてしまうのだとしたら、こちらが「結果を求める」姿勢を強く発していたということでしょう。
2.に関しても、自分の将来のために勉強しているのではなく、親を喜ばせるために勉強しているということの表れですよね。自分が成長するというよりも親の期待値に届くことが目標だったということです。私達夫婦の子供への接し方がそういう思考を生んでしまっていたことは間違いありません。
3.になってようやく自分の気持ちが出てきました。しかし「みじめな気持ち」を取り繕うために答案用紙を書き換えるのは、刹那的な対応であって根本的な解決にはなりません。息子もたぶんそれは分かっていたはずです。
心の中では合格を目指していなかったということ
この事件から私が読み取ったことは、結局この時点で息子は自分の心から本気で合格を目指していなかったということです。
何となく親に誘導されて中高一貫校の受検をすることになった。
もちろん自分でも行きたいと思える学校を選んでいるし合格したら嬉しいけれども、問題集を解いたり模試を受けたりする中で一筋縄ではいかないことも分かり、自信を失ってきた。
自分の実力では解けない問題も多い。解説してもらえば分かるけれども、分かる楽しさよりも、解説無しでは解けなかった自分がダメに思えてくる。
ならば、頑張っているふりをして、点数も取っているふりをして、本番だけ運悪く点を落として不合格だったことにすればいいのではないか。
そうすれば少なくとも受験勉強を「平和に終わらせる」ことができる。
たぶん彼の頭の中はこういう考えだったのではないかと想像しています。
その場だけを取り繕って、親の顔色を窺いつつ、受験期間を乗り切ることだけを目指していた、といったら言い過ぎかもしれませんがそれに近い状態だったと思っています。
つまり、この頃の息子は志望校に合格することを目指していなかったということです。
私も妻も、これまでの接し方を大幅に改める必要があると思い至りました。
これが6年生の10月の後半のことです。
ここから前回の記事で書いたようなポジティブなフィードバックを目指して試行錯誤していったわけです。
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