パチンコ店営業自粛要請の是非

【※2020年4月23日にFacebookノートに投稿した内容を再掲】


 初めに断っておくが,コロナ禍の現下,緊急事態宣言下でのパチンコ店への営業自粛要請について,私は「賛成」の立ち場である。しかし,どうも世間の批判からは,パチンコ業界を「不良業種」との偏重視点が垣間見える。

そこで,三つの側面から,パチンコ店への営業自粛要請の是非について考えてみた。

(1)経営の側面
 4/22の毎日新聞のネット報道:
  https://mainichi.jp/articles/20200422/k00/00m/040/177000c
によれば,
 『街中の広いホールと多くの従業員を抱え、家賃だけでも月1000万円を超
  えることもある。売り上げが1日1000万円にも達することもあるとい
  い,「動く金額が居酒屋とは比べものにならない」』
との(パチンコ)業界関係者の話が紹介されている。
この視点からすれば,やはり要請と補償がセットでない限り,あるいは,セットになっていても補償額が所詮「焼け石に水」である限り,生きていく上で休業する訳にはいかないというのが,パチンコ店の「経営の側面からの理」となる。
なお,東京都,大阪府,千葉県など,更に政府も同調して,営業自粛要請に応じないパチンコ店を公表する意向を示しているが,休業に強制力がない限り,バックに多くのパチンコ顧客(ファン)がいるという自覚もあって,公表されてもパチンコ店は営業を続ける覚悟があるのかもしれない。

(2)受忍の側面
 現時点で,パチンコ店で感染クラスターが発生したという報道を,営業自粛要請前であっても,私は少なくとも見聞きしていない。例えば,
 「パチンコ常習者の感染が判明し,パチンコ店を閉店,従業員・顧客を含
  めて濃厚接触者を調査・特定し,感染有無を確認中」
といった報道は記憶にない。
しかし,パチンコ店は「三密」(密閉,密集,密接)を理由に営業自粛要請され,一方,三密の代表格である満員電車は運行自粛要請がなされていない。それは何故かと言えば,「生活エッセンシャル(必須)」という「受忍の側面からの理」に基づいているからに他ならない。すなわち,営業自粛要請するかどうかは,結果的に,感染しやすい環境かどうか以上に,受忍できるかどうかの偏重視点に基づいているのである。この受忍性は主観感性なので,感染クラスターの発生実績もなく,満員電車が受忍されるのであれば,パチンコ店も自分が生きていく上での主観で受忍されておかしくないという「受忍の側面の理」を考えているのかもしれない。
なお,パチンコ店に対して受忍できるかどうかの偏重視点には,世間のギャンブルという「不良業種」との偏重視点も加わっているかもしれないと個人的に感じているのは,冒頭記載の通りである。

(3)感染の側面
 上述した三密の代表各である満員電車では,
  ①多くの乗客はマスクをし
  ②基本的に会話をせず
  ③温調空調も効いている
ので,三密ても飛沫感染のリスクが低いとの意見も聞こえてくるが,パチンコ店も
  ①多くの顧客はマスクをし
  ②黙々と台に向かってプレイをし
  ③喫煙に対する十分な換気設備を備えている
ので,感染リスクは満員電車と同じレベルと考えられるかもしれない。いや,満員電車と違い,パチンコ店内は従業員により感染拡大対策(清掃,消毒等)が取られているので,実はそれ以下かもしれない。そこに,パチンコ店は「感染(しない)の側面の理」を持っているのかもしれない。
なお,満員電車で感染クラスターが発生したという報道はないが,これは当然であって,仮に満員電車で感染したとしても,その乗客は日常生活の不特定多数者の一部なので,「経路不明の感染者」になるだけだからである。一方,パチンコ店は,感染クラスターとなる「潜在性」が高いのは事実だろうし,ひとたび感染クラスターが発生すれば,従業員・顧客の他,際限ないかもしれない濃厚接触者の調査・特定・検査に多大な労力が「集中的に」費やされ,行政や医療機関へ非常に大きな影響(迷惑)を与えることになる。これが,冒頭に記載した,「世間側にいる」私が営業自粛要請に賛成している理由である。


 以上,「経営」「受忍」「感染」の三つの側面から考えてみたが,緊急事態宣言下でのパチンコ店への営業自粛要請の是非については,世間側,パチンコ店側双方に「理」があるのは事実であり,営業自粛要請に応じないパチンコ店を政治判断で公表するのであれば,この「お互いの理」をしっかり認識し,政治側はしっかりした「政治の説得の理」を公表することが肝要と考える。

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