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【結婚の歴史①】

こんばんは!パパリーマンです!

本日は結婚の歴史についてお話ししたいと思います!結婚後、独身時代とは違うギャップに悩まされる男性も多いと思います。

それでは日本の結婚の歴史を順を追ってお話しできればと思います! 


〜古代〜

日本人の祖先は性に対してはかなり開放的で、男女間の交際はおおらかだったそう。なので乱婚とか雑婚という状態が長々と続いたそうです。

〜飛鳥・奈良時代〜

結婚式は唐にならって男子15歳、女子13歳で許されたそうです。ただ皇族と臣下との通婚を禁じられ、父母及び夫の喪のある間は禁じられていたようです。ただこの時代にはいると、男子から仲介人を女子の父母、祖父母などに申し入れて承諾を得た話がまとまれば、男子側から進物を女子へ贈った。これが納采(結納)の起源だそうです。

〜平安時代〜

平安時代に行われたのは公家式結婚と言われる結婚式が行われていたそうです。当時、貴族の子女は幼小のころに婚約することが行われており、後一条天皇(1008~1036)は11歳の時、20歳の藤原平安時代に行われたのは公家式結婚だとか。双方の婚約が行われると、婿側から「消息便」と呼ばれるラブレターがあったようです。この文は、柳の枝に吊して嫁方へ持っていき、女性の代わりに、その父兄が相手の人物、家柄などを確かめて返書を送ったそうです。

〜鎌倉・室町時代〜

一夫多妻の慣習は中世でも行なわれたようです。なんと!鎌倉時代には三妻まで持つことが許されていたのだとか。婚姻年齢については規定はなく、上流の間では、早婚が行なわれていたようですね。元来武士の生活は素朴・質素を信条として武士は同格の相手を求めていたようです。ただ結婚したからといって自分の土地を離れる訳にはいかないので、自然と女が男の家に入るようになったようですね。

〜安土桃山時代〜

この時代は織田信長が天下統一の事業を開始し,豊臣秀吉が関白太政大臣となって、京都を復興させた時代です。当時、有力な武家の婚礼は盛大に行われたそうです。武家の嫁入り当時の武家の婚礼の様子は次のように行われたんですって。

“吉日を選んで嫁入りが行われるが、嫁入り前に嫁迎えの儀があった。これには婿側から選ばれた2人が騎馬で先方に迎えの口上を述べに行く。このとき、嫁側では引出物に服巻(鎧)一領、太刀一振、馬一疋が贈られる。花嫁が出立するに先だって、父母に三々九度の盃があり、出門のときには門火を焚いて送り出した。”

〜江戸時代〜


 江戸時代は、長幼の序列や身分制度の確立など秩序の維持に力が注がれたそうです。また倹約も推奨されたため、豪華な婚礼は影をひそめ、「女大学」など女の道が説かれたようですね。この時期の婚礼に「仲人」が登場してきた。この仲人の存在が普及するにつれて、またそれをなりわいとする者も生まれたそうです。まさに仲人さんの起源は江戸時代にあったのですね。

皆さまいかがでしたか?

結婚の歴史も様々な発展の形を経てきたのですね、次回は明治時代〜現代までの歴史を辿っていければと思います!

それでは次回もお楽しみに!

二児のパパリーマンより

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