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「今」を生きる世界中の女性に感謝したい

高校生の頃まではキャリアウーマンになりたかった。母がそうだったのもあるし、時代がそういう雰囲気だったのも理由の一つだ。

私が生まれた平成のはじめは、少し前に男女雇用機会均等法が施行されて、男女差をなくすために具体的に世間が動いていく時代だった。

テレビでは、女性が男性と同じようにバリバリ働くドラマが大ヒットしていて、男に負けじとキャリアを積み上げていく女性が将来の理想像として刷り込まれていった。

その考え方に変化が生まれたのは大学生の頃、一人旅のおもしろさを覚えてからだ。国内外をバックパック一つで歩き回り、いろんな生き方をしている人に出会った。

とりわけ当時の自分より少しだけ年上の女性たちの、その破天荒な人生ストーリーが最高におもしろかった。

UKロックが大好きな28歳の元丸の内OLは、脱サラしてロンドンに住んでいた。誰もが知る大企業で働いていた彼女は、「今は時給900円でレコード屋のレジ打ち」とケラケラ笑っていた。

スペインに料理を学びに来た元看護師は、ドイツでケバブ屋を開く準備をしていた。「未来なんて予測不能よね」と笑いながら、旅行先で出会ったトルコ系ドイツ人の彼氏との馴れ初めを楽しそうに話してくれた。

女性には好きなことを追いかけるタイムリミットがあると思っていたし、大学卒業後はなるべく大きな企業に就職するのが「成功」だと思っていた20歳の私にとって、彼女たちは革命だった。

「こんな生き方があるのか!!!」

新しい生き方に触れる度に胸がドキドキした。

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その衝撃引きずりながら、大学を卒業してしばらくは東京で働いた。

慣れるまでに少し時間はかかったけど、灰色の背広を着たサラリーマンの群れの中を、ヒールをカツカツいわせて働くことは意外に楽しかった。

お金を稼いで、ちょっと背伸びしたファッションとメイクに身を包んでみると、自分が自立した大人の女性の仲間入りをしたみたいで嬉しかったのだ。

営業先や夜遊びした先では、絵に描いたような theキャリアウーマンにもたくさん出会えた。仕事に遊びに忙しく、恋人のことをパートナーと呼ぶ彼女たちは、仕事にも女性であることにもいつも本気だった。その姿は凛としていて、かっこ良かった。

「仕事では絶対に結果を出す。心身ともに美しく健康でいる。何のためだと思う?」

ある時、仕事で出会った5つ年上の女性にそう聞かれた。

「自分をもっと好きになるためよ。そうすればもっと周りを愛せるようになるわ」

20代で大手IT企業のマーケティング責任者を務める彼女は、ヨガのインストラクター資格をとるため週末はスクールに通っていた。ピシッと伸びた背筋と自信溢れる笑顔がとても綺麗な人だった。

数年後、仕事をやめて無期限の旅に出ることを決めた私に、その人が餞別をくれた。小さな手提げの中に入った、真っ赤なシャネルの口紅だった。

「女子をさぼっちゃダメよ」
「まぁ、なによりもリカちゃんらしくね」

私は「頑張ります」と答えて、お守り代わりにバックパックのポケットにしまった。

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それからまたあてどない旅を続けるなかで、また多くの人に出会い、たくさんの生き方に触れた。

どれも素敵なものばかりで、やはり印象的なのは女性が多かった。

マンハッタンの安宿では、これから国連本部で働く韓国人の女の子に出会った。彼女の長年の夢が叶う前夜、向かいのビルの壁しか見えない窓にもたれかかって「絶対この街でビックになる」と野心を語る横顔は、ニューヨークの夜景のようにキラキラと眩しかった。

男尊女卑の文化が根強い南米ボリビアには、戦う女性たちがいた。伝統衣装を着た先住民の血を引く女子プロレスラーは、リング上で赤土色の顔に三つ編みを振り乱して戦っていた。悪役のマッチョな男性レスラーに最初はボコボコにやられる「おばさん」の、最後は逆転粘り勝ち。頬を紅潮させた女性客が大きな歓声をあげていた。

学生時代、女優になる夢を語っていたアルゼンチンの友人は、10年経って母国で母になっていた。「生活が苦しくて」と言いながら、首都ブエノスアイレス郊外の小さな家で、旦那さんそっくりの娘を抱く姿はとても幸せそうだった。「でも、これがいいの」とニッコリ笑う彼女はやっぱりエマ・ワトソンに似ていた。

世界のあちこちで、それぞれの人生を生きながら、彼女たちはみんな良い顔をしていた。

オーストラリアのプロサーファーも、インド山奥のヒッピーも、フィリピンのレディボーイも、スペインの修道女もみんな、同じように良い表情をしていた。

「さて、私はどう生きようか」

答えを決めあぐねたまま、帰国の途についた。縁あって、今は徳島の小さな港町で暮らしている。

周りを山と海に囲まれた四国の右下の漁村にも、やはり素敵な女性たちがいた。

それぞれが誰かの母であり、娘であり、嫁である彼女たちは、それぞれが町の看護師さんであり、お豆腐屋さんであり、パン屋さんだった。

そして時に、PTAの役員であり、ママさんサッカーのエースであり、阿波踊りの踊り手であり、海岸清掃のリーダーだった。誰かのよき仕事仲間であり、ママ友であり、お隣さんでもあった。

仕事とプライベートの垣根が限りなく低い田舎町の暮らしのなかで、一人何役もの「役割」を担う彼女たちは、いつも忙しそうで、いつも楽しそうだった。

「はよう、いい人見つけて結婚し」
「子供はかわいいで」

彼女たちに言われると、そんな人生もありだよなぁと思える。だって都内で働いていた頃の私よりも、田舎に住む彼女たちはバリバリ働いているし、モリモリ遊んでいるし、なんてったって楽しそうなんだもの。

「どう生きようか」

その問いは日々濃くなるけれど、迷う自分も幸せだと思える。選択肢は無限にある。何をどう選ぶかは私次第だ。

結婚もしたいし、子供も産みたい。仕事もしたいし、趣味の時間も削りたくない。旅だってもっとしたい。

31歳という年齢に、「わがまま言うんじゃありません」と叱られてしまうかもしれないけど、「将来どうなりたいか」よりも「今どうしたいか」を優先させるのもそんなに悪くないと思っている。

時代や場所が変われば価値観なんて変わる。世の中の常識も、自分の理想も。きっとそこに絶対的な正解なんてないから、その時々の自分なりのベストを一つずつ選んでいけばいい。

人生が「今」の積み重ねでしかないと思うのは、これまで私と出会ってくれた彼女たちの影響が大きい。どう生きるかに正解も不正解もないことを、それぞれの生き方で教えてくれた世界中の女性たちに、私は心から感謝している。

「未来なんて予測不能よね」

独り言をつぶやいて、今日も私は「今」を積み上げている。



この記事は、3月8日「ミモザの日/国際女性デー」にちなんだ「大切な女性へ感謝を伝えるnote」企画に参加して書いたものです。

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