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自転車に乗れない私と、女心が分からない大将

今日みたいな雨の日、私の目には、自転車漕ぎながら片手で傘を差す人がとても眩しく映ります。

手術の後遺症で左半身が麻痺する前は、毎日自転車に乗っていました。
姉夫婦にプレゼントしてもらった白い自転車を、池袋~祐天寺辺りで乗り回していました。
覚えたての台詞をぶつぶつ唱えながら、途中で言葉に詰まったらまたスタート地点に戻る、という、自分なりのルールを設けて爆走していました。

自転車を乗りこなせるようになった小学二年生の頃から、大学を卒業して自動車免許を取得した後も、基本的に電車通学・通勤だった私は、駅と自宅の往復は自転車で、だから人生の大半はサドルの上で過ごした、と言ったら言い過ぎか……。
でも、人並みに自転車ユーザーでした。
母からは、危ないからやめろとよく言われましたが、傘を片手に漕ぐこともおちゃのこさいさいでした。

新しい身体感覚


身体障碍を抱えた三十一歳の私は、手に物を持ちながら歩くというのが下手になりました。
具体的になぜかというと、左半身が常に地面から物凄い重力で引っ張られている感覚で、体の平行を保つため、常に胴体と四股で重心を探しているからです。

と、たぶん実際にこうなってみないとピンとこない感覚ではあると思うのですが、
両手でしっかり持てばそこまで濡れることはないし、いざとなったらカッパ着ればいいし、
というか、こうなる前から普通に歩くだけでスッ転ぶこともままあったし、
麻痺しながらも、以前よりだいぶスムーズに動くようになった体を自覚する度、
「慣れってすげーな」
と、我ながら感心します。

自転車には、もう5、6年乗っていません。
が、以前はヘビーライダーだったわけで、一度身に付いたものは何年経ってもそうそう忘れられないものだとも思うし、乗れんこともない気がしています。
「危ないから乗らないで」
主治医の先生にはそう言われているから、今度誰もいない広めの公園でトライしてみてもいいなと思っています。

よぉ分からんイメージ


ところで先日、たまに行く居酒屋の大将に
「自転車乗れなさそうなイメージやわ」
と唐突に言われ、なんだかよく分からない気持ちになりました。
嬉しいような、いや、喜ぶのもちょっと違うような……。
大将は、私の身体障碍とは関係のないところで話していて、ただただ、私という一個人のイメージとして
「自転車に乗れなさそう」
と思ったようなのです。
えー、それってどういう意味?
良いも悪いも無いだろうけど、どういうつもりで言ったのかだけ知りたい。

自転車に乗れないくらい運動音痴そう
そう思わせる場面どこにあったん?

自転車=庶民の乗り物
という前提の上でなら、
「自転車に乗る必要のないお嬢様」
というイメージか。もっと嫌。

どっちにしろモヤッとするわ。
にもかかわらず、一瞬喜んだ自分がいて、今年いち”よぉ分からん心境”に陥りました。
分からなさ過ぎて、私もしかして大将のこと好きなんかな、と余計意味不明な方向に向かいそうになりました。

あれなんなん?


「運転下手そう」
とか
「地図読めなさそう」
とか、別に誉め言葉ではないことを言われ、ちょっと嬉しくなっちゃうのって、なんなんだろう?

「そんなことも出来ないのか仕方ないなぁ~。俺がいないと何も出来ないんだから~」
って彼氏とか旦那に言われて、なんかか弱い存在になって守られているように感じて喜ぶタイプの女にはなりたくない!
私は堂々と、颯爽と、豪快に爆走する、自立した人でありたい!
と思いつつ、結局私もそっち系なのか……、とか。

「お前は自転車に乗れない女であれ!」
ってそういうこと?

って、超絶めんどくさいこと考えながら、大将のおでん旨!って思いながら
「大将って、女心全く分からなさそう」
と、反撃のつもりで言ったのですが、大将も実はちょっと喜んだんかな。




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