美しさについてだらだら考えてみた
美しさって、必要なのだろうか。
ありきたりな疑問だけど、そもそも美しさってなんだろう。
外見なのか、中身なのか。見た目なのか、心なのか。
おしゃれじゃないと、メイク上手じゃないと、お肌綺麗じゃないと、いけないような、そんな気がして生きている。
話が面白くて、優しくて、気が利いて、心が強い人にならないと、いけない気がして、生きている。
社会に出た時に、センスのない人は受け入れられないと感じてるから。
どんなに真面目に生きてたって、センスがなければ通用しないと、なんとなく肌で感じてるから。
センスは磨くしかない。磨くことでしか培うことはできない。
だから自分に似合う服とか、メイクとか、肌を綺麗にするためのスキンケアとか、お金をかけて研究してる。職場の人といろいろ話して、この環境で認められるためにはどんなことが必要なんだろうと日々探してる。
それでも自信にはつながらないし、自分のことを「美しい」と思えたことはない。
見た目に囚われて「メイクしなきゃならない」と感じてる自分がいて窮屈だし、自分がどう思われるか常に気にして職場の会話にあわせることに疲れている。
美しさとは、耐え忍ばなければ叶わないことなのかもしれない。
美しさの定義はとても曖昧で難しいけれど、私がいま考えている美しさはおそらく「どんな他人から見られても普遍的に認めてもらえる自分自身を形成すること」なのだろうと思う。
美しさとは、最終的には自分に関わる他人に判断を委ねられるもので、それを叶えるために常にセンスを磨きあらゆる価値観の人間になるべくフィットできるよう努める必要があるものだと。
ただ、もし仮にこの美しさを実現できても、それが自身の幸せにつながるかは別だ。
美しさを纏う人はとても羨ましく思える。綺麗で気立も良いようなセンスの持ち主は、とても楽しい人生を送っているように思える。
でも前述のとおり、この美しさの裏には本人の耐え忍びが存在する。耐え忍ぶ生活は決して楽ではないし、失敗する恐怖にも襲われるだろう。他人からのジャッジは一度ではなく関わり続ける限り更新されるから、常に美しさを保つ努力が求められる。
そんな人生、本当に幸せなのだろうか。その美しさは、生きていく上でどれくらい重要なものなのだろうか。
周りからの評価を気にすることなく「ありのままの自分でやりたいことをやるのがほんとうの美しさ」だという考え方も私にはある。「自分が美しいと思えばそれが美しさだ」という考えもまたすることができる。それらもまた、紛れも無く「美しさ」というものなのだろう。ただし、人は人と関わり合うことでしか生きていくことができない。故に、前述のような「あらゆる他人に対する普遍的な美しさ」もまた、必要なのだろう。
ありのままの自分で美しく見える人もいるが、それはもともとこの社会にフィットするセンスをその人がたまたま持ち合わせていたから。それに「見える」だけかもしれない。
だから実際のところ、他人からの評価を無視した美しさは、果たして本当にあるのか疑問ではある。人からの目を気にしなくて良いなら、そもそも美しさという概念もなかったんじゃないかと思うから。「自分のやりたいことをやって生きる」ことは、ただ本人の幸福に関わることであって、それを美しいという概念に持ってくる必要性はその本人にはないから。第三者から見た時にはじめて生じる考えだから。
美しさを追求する限り、他人からの見られ方や自分を研磨する努力からは逃れられない。そして誰かと関わる限り、その相手の求める美しさに近づけていく作業は怠ってはならないのかもしれない。
ただし、その美しさの背景には本人の努力や自分への配慮が存在していることを念頭に置き、また自分の求める美しさと相手が体現できる美しさは完全に一致するわけではないことを自覚する。逆も然り。
美しさって、難しい。わかってないくせに、囚われるなんて。厄介だなぁ。
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