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似合う服を着るか、服に似合いにいくか。
どうでもいい話をこの前家族と話した。
服の選び方だ。
父と私は「似合ってくれる服を着る」タイプ。
母は「服に似合いにいく」タイプ。
父と私は肌が敏感なのか、肌あたりがいいと感じる服をかなり選ぶ。
イガイガするニットなんてもっての外だし、カッターシャツや真新しいジーンズなどの硬い素材もあまり受け付けない。スキニーやタイツのようなまとわりついてくる服も着れない。でも肌あたりがよかったり、スキニーの形が自分の骨格にあってれば切れる。
人の骨格は十人十色だから、オーダーメイドでない限りみんながみんな自分の体にピッタリの服を着ているわけではない。だが父と私はその許容範囲が極端に狭いため、肩幅や身幅などのサイズ感も肌当たりもかなり厳密に見極める。
だから同じ服を何枚か買ったり色違いで揃えたりする。私服のパターンも限られてくる。
母はその点、どんな服でも着たいと思えば着るタイプである。ニットのイガイガもジーンズの硬さも気にしない。多少肌がこすれる感じがあっても着たいから構わない。肩幅がちょっと窮屈でもスキニーが思ったよりフィットしてきても「自分がちょっと身体を縮こませればいける」という心構えさえ持ち合わせている。
母の服を買う基準は「着たいと思ったかどうか」の一点にほぼ絞られる。家のタンスにある服たちとの着回しもあまり考えてない。その品に惚れたら買う。
だから母はいろんな服を買ってくる。多少コーディネートがちぐはぐに見えても、それを着たいから着る。
自分のわがままを叶えてくれる服のみを好んで着る父や私からすると、惚れ込んだ服をたとえ若干窮屈に感じても着てしまう母が驚異的だった。
服も、ただおしゃれを楽しむアイテムという側面だけではなくて、身体を汚れや細菌から守ったり、体温調節をしたり、いろんな側面がある。結局はどの側面から優先していくかってただそれだけのことなんだけど。
最近こういう話をして自分たちの相違点に気がついて、ちょっと面白かったので。
服に似合いにいくなんて発想、私にはなかったなぁ。
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