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「相手の姿かたちをお互いに観る」というワークショップ

 オンライン会議で映し出される相手は、良くも悪くもフラットに見えるようになる。どんな職位にあっても、または年齢や経験があったとしても、オンライン会議は人をフラット化する。この手の民主化が、経営陣や有識者を雲上人ととしていた状況より、格段に企業のトランスフォームを進めることに貢献するだろう。

 ある組織でのDX支援の話。オンライン会議の向こう側に現れたある若者が、実にクールで、これは頼もしい人がプロジェクトにはいってきたと感じた。このご時世なので、まずリアルで会うということがない。オンラインで始まり、オンラインでのコミュニケーションが続く。

 ある時、ようやく緊急事態宣言も終了し、ユーザー行動フローをリアルで集まってみんなで書いてみようとなった。オンラインで手軽に会議を開き、終える、ということに慣れきった体からすると、都内にわざわざ出かけにいくというのはとてつもなく億劫に感じる。このときも気持ちを奮い立たせて臨んだ。

 久々にリアルな会議室で、ホワイトボードを前にして、会話を始める。たちまち奇妙なことに気づいた。人のサイズ感がおかしい。こんなに身柄が小さい人だったのか。逆に思ったよりも大きな人もいる。年齢も、こんな若い方だったのか、とか。足元までオシャレにきめているんだ、とか。

 くだんのクールに見えていた若者も、実に若く。まだ学生の雰囲気さえ漂わせている。クールなんかじゃない。ただ、狭い画面でそう見えていただけ。若く、溌剌と元気のある子だった。私の思い込みは一気に、まさしく一目相まみえて、ガラガラと崩れていった。

 人は、不足する情報を自ずと補っているところがある。足りないピースを自分の経験や考え方で、妄想して埋めている。コミュニケーションのオンライン化は、ポジションに基づく「権威」をフラットにする。それと同時に、人を観る目も気が付かないうちに変えてしまう。

 「人を観る目」をマネージするのは、当事者側だった。髪型や服装、所作。身体に伴う情報をマネージすることで、「人の観る目」を当事者側がコントロールしていた。オンライン化によって、そうした情報が圧倒的に不足し、意図せず、「人を観る目」のマネージは相手側に委ねられるようになってしまった。良い悪いではなく、賽を握る側が変わったということだ。確証バイアスがより進んでしまう言える。この意味では、ミスリードにも繋がる話だ。

 だからね。なんだかチームの運営が上手くいかない。なんだかすっきりしない、みんなにチーム感があるのかもわからない、そんな風に悩んでいる真面目なリーダーがいるとしたら。ややこしいオンラインのワークショップをやる手を一旦止めて、一度リアルで集まってみると良いよ(もちろん密は避けてね)。

 これは、相手の姿かたちをお互いに観るというワークショップだ(笑) そうさ、イニシエの頃はそうやって、人間を知ったんだよ。「出来る」ということ、「上手くやる」ということはまた違うんだ。

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