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「相談」と「対話」は違う

「相談」と「対話」で何が違うのか

 最近、「対話」をしていないなと思った。人との会話は仕事柄よく行う。問題解決のための話がほとんとだ。そうこれは対話ではなくて、「相談」と言うべきだろう。相談とは、問題を聞いて、相手のための解決を考える時間。

 対話はそうではなくて。一方的な問題解決の場ではない。お互いの問題について話し合う場。どちらかが相談する側、一方が相談を受ける側という役割の演じ分けがない。相手だけの問題でも、自分だけの問題でもない。それでいて、相手も自分も関与することについて話し合う。

 同じテーマであっても、相談と対話では全く性質が異なる。例えば「顧客とどうあるべきか」というテーマがあったときに、相談だと「顧客との間で起きている問題や課題についての解決」になり、対話だと「顧客との関係性として何が言えるのか、新たな意味付け」になったりする。

 相談だと、予め分かっている範囲での問題解決となることが多い。相談している以上は何がしかの問題解決に至りたいわけだ。対話の場合は、その場で何か切り口を得ていく、発見していく感覚になる。お互いがはっきりと認識できていなかったこと、言語化できていなかったことを形にできる。

自分の荷物をおろす

 どうすればそんな会話に至るのか。同じ組織の中にいても、なかなかである。そこでは「自分の荷物をおろす」ということが必要そうだ。相手によく見られたい、称賛されたい、他の誰かよりも評価を得たいという思惑、プライト、プレッシャー。そういったものが自分の抱えている「荷物」だ。そんなものを抱えて会話しても対話にはならない。

 自分の荷物をおろして会話できるのはどんな場合か。両極端に振ると、全く利害が無関係の場か(例えば知人友人との飲みの場とかね)、利害が完全に一致している場だろう。後者は、相手のためでも、自分のためでもなく、自分たちのため、あるいは自分たちの外側にいる人のため(例えば顧客とかね)に言葉を重ねる場となる。

 後者をどうすれば組織の中に生み出せるのだろうか。1on1、雑談、いずれもあてはまりそうだし、一方でただラフに設けても当事者のポジションによる影響は残る。お互いが普段背負っている荷物を置いて話すならば、非日常的な場の演出が最初は必要だろう。日常から物理的に切り離すことで、荷物を日常に置いてくることができる。

 そうしたことをきっかけで、対話の経験を得ておくことで、日常における1on1や雑談がより活きてくるように思う。非日常な場とは何か? もちろん日常ではない場、時間、テーマでやることですよ。第3者が介在する意義はフレームがどうとかではなくて、その存在自体による非日常感の呼び込みにあるのかもしれない。

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