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8年ジャーニー

 あと8年と決めている。

 8年後にちょうど50になる。そこで、一旦の区切りをつける。そう決めたのはもう半年以上前のことだ。この「8年タイムボックス」が得難い制約の一つになっている。今までと違う判断が増えてきている。

 例えば、あと8年しかないと思えば「今目の前のこのことに本当に時間を費やすのか?」という問いが増える。大事なことだとは思う、ただ8年タイムボックスと考えると、優先度を落とすべきではないか? そういう判断ができるようになった。「良しと思ったことは全部やれ」を自分の原則に置いていた身からすると大きな変化だ。ようやく選別、捨てる方の強力な基準ができたように感じる。

 8年は長いようでそうでもない。1年単位でやることはもう8回しかできない。1年は例えば、規模の大きな企業、伝統的な企業におけるデジタルトランスフォーメーションの取り組みとしては現実的なタイムボックスになる。8年の間に、検証し、型づくり、広げ再現させていくことまで考えると、何周できるか? は余裕のある問いかけにはならない。そう考えると、1回1回にかける思いはより研ぎ澄まされることになる。1日1日、1回1回の機会を雑にしないように。

 8年のうちに様変わりすること、前提が変わることも多々あるだろう、そう考えると8年のタイムボックスに何か意味があるのか? そう思う人もいるかもしれない。そのとおり。変わらないなんてことはないんだということをこのコロナ禍で直近検証されたばかりだ。

 ただ、8年前のことを思い出してみると、既にその頃に今の自分に繋がるアイデアを持っていたな、その端緒に立っていたなということにも気づく。8年かけて育ててきたものが今ここの自分にはある。全く想定外の紆余曲折を経ているが、それでも繋がりを確かに感じる。人の営みをそうそうラフに考えない方が良さそうだ。我々は何者で、どこへ行くのか。その前に、どこから来たのかという問いが残されている。あらゆることをリセットしているつもりで、自分の中に張った根というのはいまだに遠くまで遡ることができる。今の自分を捉えなおそうとする8年後の自分がきっといる。

 8年でないといけないのか? 8年は私にとっての時間軸での話なので、人によって異なる。正直5年くらいのタイムボックスで十分だと思う。あえて8年と置いているのは、個人的に50に届くからだけだ。50という数字は、私にとって大きな意味を持つ。

 50は、それ以上つまり60代と、それ以下の世代40以下とを繋ぐ役割になる。それはもちろん各世代で言えることなのだけど、日本におけるいまの50代が果たす役割は大きい。60代、70代の強い日本を代表した世代と、就職氷河期から始まって日本の勝ちを見ることがなかった40代との間に位置する。

 世代間の考え方の差はもちろん常にあるが、こと今の日本においてこの世代間の価値観を乗り越えていけるかどうかは、次の時代のために必要だ。そのことを次の世代の人たちの顔を見ていて感じるのだ。終わらせるべきものを終わらせ、繋ぐものを繋ぐ、そのための仕事をしなければ、なんとも残念な状況を引き継ぎ兼ねない。だから、こちらサイドからは「50代のみなさん、一つ力を貸して下さいよ」という最後の甘えさえも戦力に数えているのだ。

 そういうわけで50に達したときは新たな役割が与えられる。自分自身に引導を渡し、次の世代が次の次の世代のための場所を用意できるよう、余白(スペース)を作るという最初で最後の仕事がね。8年とはそこに至るために残された時間だ。

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