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新しいハコの中身は確認したか?

 2020年は、大きな転機がいくつかあった。国の仕事を始めたこと。自分で作った会社を退いたこと。そして自分で再び会社を立ち上げたこと(それから、書籍も2冊積み重ねられた)。

 1個1個が大きな出来事。1年に3年分くらいの時間が詰まっている。大げさではなく、物理時間としても平常の3倍は使っているだろう。皮肉なことにコロナ禍でリモートワーク、オンライン会合が一般化したからこそ出来たことだ。

 そういう生き方をこれまでもよくしてきたし、性にも合っている。ただ、年齢はまあまあキているし、昨年は同年齢の友人を亡くしたこともあり心身の健康に目を向けるようにはなった(これも皮肉なことにコロナによって、体温を測る習慣がついて、自分がいかに低温な生き物なのか把握するに至った)。

 様々な切り口で、この年のふりかえりができそうだ。その内の1つを今回は挙げる。それは「新しいハコ」という話。

 DXにしろ、国にしろ、「新しいハコ」について直面することが多い。DXとは広義には組織内に新たな組織を作る活動にほかならない。新たな取り組みを始めるためには? そのためにふさわしい「新しいハコ」が必要だ、というわけ。

 新しいハコは、人々の耳目を集める。新たな期待が寄せられる。何かが起きそう、起こせそう。この感覚は自分にもあった。かつてはそういうところに飛び込んでいく自分を想像して奮い立つこともあった。相応の年を重ねて落ち着いて見れるようになったが、今でも新しいハコへの期待はむくむくと湧いてくる感じがする。新しいハコの魔力。

 だからこそ、この1年さまざまな「新しいハコ」に関わり、ほぼ一様に違和感も覚えた。違和感とは発見でもあるから、悪いことでもない。

 新しいハコへの臨み方によって、決して小さくない期待違いが起きてしまう。それは、新しいハコがどこからスタートするのかということだ。

多くの場合、
「新しいハコを作ったから、新しいことができる」わけではなく、
「新しいハコを作ったから、新しいことをできるようにしてね」というのが
暗黙的な期待になっている。

 外からは、建て付けとして完成されているもの(「新しいハコでは新たな取り組みをすることが然り」が共通理解になっているはず)と見えるものでも、そういう整った状態から始まることはまず無い。なにしろ、整っていないからこそ、できていないからこそ、そのハコを作ったのだから

 いやいや、そんなこと分かっていますよ、だから乗り込むんでしょう、と思ったあなた、応援します。さらに1つ留意しておきたいのは、整っていないのがHowやWhatみたいな「何をどうやるレベル」の話だけではなく、Whyで整っていないことがある、ということ。

 え? Whyのために新しいハコを作ったのでしょう? と思ったあなた、自分の想定を越えたところに存在する事実を指して「想定外」と呼び、ゆえに想定外という「想定」も生まれるのです。

 組織のような大きな話だけではなく。新しい事業の立ち上げでも、プロジェクトでもありえる。ほら、ハコというのは中身が空洞じゃない。ハコには具を詰めてこそ、用をなすわけわけだ。最初からそういう期待なんです。

 だったら、具を先に用意しろ? その通り!であり、ハコにもハコの役割があるのですよ。中身を見たくて、人が集まってくるでしょ。

 達人プログラマー20周年本、石のスープの話も残っていた。


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