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正しいものを正しくつくれているか?

 先日のコミュニティイベントを終えた後は、鳥取・船橋・静岡というジャーニーだった。鳥取で1泊、静岡で1泊。何処に行っても、正解も何も誰にも分からない模索の状況下で、それでも前に進みたい、進まざるを得ない人たちがいる。そうした人たちの想いに触れると、自分もまだまだやることがあると新たになる。あと10年どうするかなんて考えるのではなく、出し惜しみせずいきたい。

 こうした模索の中では、「正しいものを正しくつくる」という言葉が人に傾きを与える。この言葉はそのまま読むのではなく、問いかけとして扱う。すなわち「正しいものを正しくつくれているか?」と。それを他人に向けるのではなく、自分自身に向ける。そうして、自分自身の在り方、思考や行動を問い直すためにある言葉なのだ。自分で自分の有りたい方向に向きあえているのか、気づくための言葉

 この言葉の意図については書籍「正しいものを正しくつくる」のはじめににも書いている。なにより会社として5年間発信し続けてきているのだが、距離の近かった人でも伝わらないことが、珍しいことではない。

 ただ、もうそれで良いのだろうと思っている。届くところに届いていけば良い。届かないところにはまた別の有り様があるはずだ。

 私の方も、目と耳をくまなく向けられているわけではないし、関心ごともある。そうやって人は個別化していく。ただ、見てもいない、聞いてもいない、知らないものに、二項対立的な姿勢を取るより、よほどやること、本来のやりたいことがあるはず。だから、せめて「ともにある」になれることを願っている。 https://www.slideshare.net/papanda/ss-151338318

 正解はない…...で、どうするのか? その後に、どんな言葉を紡ぐのかに、私は関心がある。それこそが人の知恵だから。

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