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私達は組織の何を「開く」のか?

増田さんとの対話

 増田さんとの関係を何と称するかは迷うところがある。この広い世界の中で出会えたのは、共通する友人のおかげだったわけだが、その友人も増田さんを正しく「知っている」だけであり、ファーストコンタクトはおっかなびっくりだったことを今も覚えている。もう10年以上も前になる。

 それからコミュニティでの活動で関係を深めていき、やがてともに会社を立ち上げるに至った。実を言うと私と増田さんは重なるところが少ない。年齢も、歩んできたキャリアにも、技術も。それでいて共通する言葉が存在した。正しいものを正しくつくる。この一点で合意が常にあった。

 数年間、会社をともにした。実に愉快な時間だった。その後、2020年に両者ともに役員を退任し、それぞれの道を歩むに至っている。間があいたとしても、顔を合わせればいつものようにやりあえる。不思議な関係。盟友、同志とも言うべき間柄なのは、今も変わらない。数年ぶりの対談も、終始軽妙で、本人たちこそ楽しんでいたはずだ。

いつから組織の「最適化」は始まったのか?

 書籍「組織を芯からアジャイルにする」では、日本の組織課題として過度な「最適化」をあげた。効率への最適化を追い求めることが勝ち筋であり、かつての日本を支えてきた。今現在における問題とは、組織の判断と行動の基準がそうした効率への「最適化に最適化されている」ことだ。

 プレイするゲームがいつの間にか変わっているのに、これまで通りのルール、勝ちパターンを適用しようとして散々結果が出ない。求められるのは、新たな勝ちパターンを見つけ直すこと。そのための探索と適応であり、新たな組織の動き方なのだ。常にオルタナティブに目を向けられるようにする。組織を「動ける体」にするべく、「アジャイル」を宿す。これが「組織を芯からアジャイルにする」のコアメッセージだ。

 増田さんとの対話で気付かされたのは、最適化に最適化していく日本組織にはさらに「その前の時代」があったということだ。組織は最初から最適化一辺倒であったわけではない。さらに昔には、米国や海外の市場に食い入るために乗り越えた「戦後」というカオスが存在した。それは日本という国が直面した最大のカオスであり、正解など何一つない状況下で求められたのは自ずと「探索」と「適応」だったのではないか。

 もっと品質をあげなければならない、もっと生産性をあげなければならない。想像するに組織活動そのものが、今で言う変革の日々であったのではないか。昨日の取り組みをただ明日も続けているようでは到底進展を得られない。そうした挑戦を率先する経営者たちには、現代においてはレジェンドとも言うべき名前をあげられる。ある意味で「老害」という言葉が存在しない時代があったのだろう。

組織に宿る精神的な「鎖国」

 80年代に至り、組織の舵取りは変わる。十分に成功を果たした組織が次にやるべきことはそれを守ることだった。上り詰め、成功体験は得られた、ではそれを守っていくためには? 勝ちパターンを確実に踏襲し続けること。勝ちパターンから外れる行為が生まれないようにすること。組織の中に間違わないようにするためのガードレールを敷くべく、規程や標準を固めていく。そうして確かに組織は間違わなくなった。同時に、広大な可能性を手放すに至った。それは無意識の上での精神的「鎖国」だったのかもしれない。

 閉鎖と開放を繰り返す、この国において次に必要なのは「開く」ということになる。使う道具やツールを変える、新たなビジネスモデルを作る、必要な人材教育を立て直す。何かを「変える」という意図の奥には「開く」があるように思う。これまでの経験や基準で判断するのではなく、開く。つまり、組織内にない知見を外部から得る。

 門戸を開くのは外に向けてだけではない。組織の内でも、開く。これまでとは異なる基準や方法に関心を示し、試行する人たちが内部にも一定存在する。そうした人たちが動ける場や道筋を作ること、手がかりはそこにある気がしている。社内でパブリックな組織構造を前提としない「コミュニティ」を立ち上げることは、その細やかな一手。まず組織の中に眠る「関心」を見つけ出し、撚らねばならない。

 また、大きな組織ほど「辺境」側が存在する。これまでの組織を担ってきた「中枢」から離れれば離れるほどに「辺境」が生まれる。従来のビジネスやサービス、商品開発と異なる活動が小さいながら育まれていることがある。たいていの場合、辺境ほど「外部」との境目が近い。自力で組織が変われないのであれば、外部からの力を借りるより他ない。辺境を探索し、その狙いを学ぶこと。あるいは辺境の活動を後押ししていくこと。センターオブエクセレンス(CoE)を立ち上げた後に、次にやることは組織の中を探索することだ。

「認識」を開くために「芯」を取り戻す

 外に向けて、また内側に向けても、開いていく。意図と方針は明確になるが、実行は前途多難だ。なぜなら開くのは方法や技術だけではない。人の「認識」こそ開かれなければ、変化は伝播していかない。組織における「認識」とは、厄介だ。文書やステートメントを書き換えれば変わるわけではない。

 「認識」とは、そうした物理的な媒体を離れ、人と人の間に根ざしている。「認識」はやがて「常識」となって、組織をコントロールする。そこにはもはや明確な「旗振り」など存在しない。何のための最適化なのか? 事業なのか? 組織なのか? まともな回答がどこにもなくなってしまう。芯を見失ってしまった状態。そのこと自体に気付けず、組織は「最適化」を続けている。

 この旅は、組織の方法や技術を隅々まで刷新する活動のようにみえて、その実は違う。人と人との間に「芯」を取り戻すための一歩に思えてならない。

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