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日本一美しいベンチャー

 金曜日から岡山空港経由で新庄村という村に来ている。考えてみれば岡山空港に降り立つのも(まず空港の山深さに驚いた)、中国山脈を縦断するような移動をしたのも初めてのことだった。もっと言うと「村」という自治体区分に該当する地域を訪れたのも、初めてかもしれない。なので、訪れるまでうまく「村」の様子をイメージすることができずにいた。

 そもそも、なぜ新庄村を訪れたのかというと、Local Work Design Labという、新庄村が取り組む「新しい働き方、生き方を考える活動」に関与することになったためである(6月9日に大阪でその活動イベントがあり、お話をさせて頂くことになっている)。

 ギルドという組織形態、ギグという働き方について普段の仕事として向き合っているため、テーマ的に何か貢献できることがあるかもしれないと考えた。イベントで話をさせて頂くからには、何はともあれ一度、新庄村を訪れて、その様子を見ておいた方が良いだろうと思いたち、鎌倉から700km離れた村にやってきたわけである。

 私にとって、この村エクスペリエンスは、これまで体験したことのないものだった。

 棚田というには一つ一つのサイズが大きいかもしれない。田に張られた水面には村の風景が映える。「日本一美しい」というタグラインは決して誇張されたものではない。

 村には、がいせん桜と呼ばれる桜並木の通りがある。桜の咲く時期にはこの小さな村が1万人の人で賑わうのだという。

 村エクスペリエンスの情緒的な面は、なんといっても、生活の場と自然が一続きになっている点である。その境目が曖昧になっている。生活の場の隣に山があるというよりは、山の中に村がある。もちろん地図的に俯瞰した視点で言えば何も不思議な感覚ではないのだが、実際に自分の眼球によるビューで空間を捉えると、日常味わったことが無い感覚の中に居ることができる。まさに包み込まれるような感覚に。

 もう一つの村エクスペリエンスは機能的な面である。これは新庄村ならではなのだと思う(比較対象が私の経験の中にないので想像になる)。情緒の面から考えると「自然豊かな村」という認識で終わるところだが、新庄村は村独自の経営を進めている。そう、経営と書いたのは誤記ではない。新庄村はまるでベンチャー企業のようだ。

 がいせん桜の通りには、住宅をリノベーションしてコワーキングスペースが設けられている(ちなみに私はそこに併設された、誰にも秘密にしておきたい素敵な宿に泊まらせて頂いた)。ここは渋谷でも、鎌倉でもない。人口940名ほどの村に、コワーキングスペースである。そこで、村外部からの仕事を受けて、共同で仕事をされているらしい。ギルド、ギグ的だ。

 こうした事業をはじめとして、村が出資したり村自体が運営する事業がある。そうした方向性の打ち出しをされるのが村長で、その実装に村役場の方が奔走している。間違いなく忙しそう(そう、これもいわゆる村のイメージからかけ離れている)だが、取り組みへのワクワク感がそばに居ても分かる。こうした疾走感と実際の事業運営に、「田舎の中途半端な取り組み」という感覚がなく、むしろ、普段私が接している企業の方々と遜色ない鋭さを感じるのだ。

 もちろん、人的リソースは常に足りない。一人で何役もこなされている。自ずと、動き方には主体性が求められる。環境が人の主体性を殺すこともあれば、圧倒的に引き出すこともある。昔ながらの企業環境が前者にあたる場合が多い現実の一方で、人がこのような状況に置かれたときには自ずと主体性を取り戻していける可能性があるのだ。そのことを実感できたのは私のとっての大きな学びだった。一つの村がベンチャー企業のように動き、そこにいる人達が中心となって進んでいることに、圧倒的な力強さを感じる。

 日本一美しい村は、日本一美しいベンチャーだった。

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