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組織をシンからアジャイルにする

 書籍「組織を芯からアジャイルにする」を補完する講演を行った。終えたときに、「そうそうこういうことが言いたかったんだよね」と気づけたりすると、準備も楽しくなる。
(「シン・正しいものを正しくつくる」とあわせて、2月はこの2話に余暇のほとんどをつぎ込んだ)

 「組織」という言葉がつくと事は難しくなり、距離のあるテーマに思えてくる。「組織を芯からアジャイルにする」にあたって、一人ひとりで何が出来るのか。出来ることはある、むしろその手がかりはこれまでの行いの中にある。そうしたメッセージを強調したくて、この話をした。

 「シン・正しいものを正しくつくる」から、「組織をシンからアジャイルにする」を読むと、「シン」に繋がりがあることがわかる。だから、この順番であり、後者は「芯」ではなく「シン」としている。
 「正しいものを正しくつくる」という「整合合わせ」を循環させる、組織内でその回転を巡らせていくことで、「芯からアジャイル」を実現する。
 これが私のジャーニーをかけて辿り着いた今ここの「仮説」であり、「希望」だ。

 私たち一人ひとり、それがチームとなっても、出来ることには限りがある。だから、どうにもすることはできない、ということではなく。自分の営みが与える影響によって、一人では出来ない変化を引き寄せることができる。

 それが、「ソフトウェア開発」から学んだことだった。二十年以上かけて。

 「つくる」という行為が持つ「求芯力」と、「つくったもの」が生み出す「遠芯力」とがある。そうした力が、一人での行いを支え、チーム自体を作り出し、組織に影響を与える。さらにそれぞれの組織を越え、コミュニティのような繋がりにも至る。「つくる」とは「かわる」への誘いなのだ。

 だからといって、肩肘を張るのも(もう)よそう。誰かにトランスフォーメーションだとか言われなくたって、私達にはそのための力を宿すことができる。「まだ、そんなところにいるの?」という雑音は、何の足しにもならない。自分たちのリズムで、スプリントを回し、続けよう。

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