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日常の裏番組を問わない。

 昨日のリモートジョグが意味するところは何だろうと考えていた。

 時間をあわせるあわせない、(物理的な)場所をあわせるあわせないを整理するとこのような分類になる。

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 これまでは圧倒的に「同期集中」(特定の場所に移動して同じ時間割を過ごす)だったわけだ。リモートワークは、対極の「非同期分散」にあてはまる。組織において、同期集中一択から非同期分散が選択肢にあがるまでは、ポリシー的、環境的課題などなどがあり、コロナ以前の段階では依然として距離があった。

 環境の激変によって、同期集中から非同期分散への移行が一気進むのとほぼ同時に「同期分散」も取られるようになった。分散状態にあって、あえて時間をあわせた活動をするものがそれにあたる。

 同期集中→同期分散という流れと、同期集中→非同期分散→同期分散という流れでは、背景が異なる。おそらく前者は同期の世界を引きずっている。後者に新しいスタイルの模索がある。

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 時間という一点だけあわせて、それ以外はお互いの場所、状況、行動を問う必要がない。ジョグの裏で、ご飯を食べていても良い。飲食の裏で、筋トレをしていても良い。

 日常の裏番組を問わない、この感覚を私達はすでに何気なく手にできているが、これまではあまり無かったことではないだろうか。

 生活の上で、わざわざ分散下で同期しようというモチベーションがこれまではなかった。同期がしたければ、場所をあわせる(集中する)がごく自然のあり方。非同期分散の状況下だからこそ、お互いがまた自然と同期しようと、その手段を選ぶことができる。

 私達が状況から受ける影響というのはとても大きい。新たな手段の採用であっても、ごく自然の感覚をもたらすことになる。人は変化に適応する力を持っている。おそらく、変わらないようでいよう、ということのほうが不自然なのだ。

 今、同期集中の一択から、選択肢は4つに増えた。人と人との関わり、あり方にはまだまだ広がりがあるといえる。


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