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「問題が無い」が、問題。

 チームの1週間のふりかえりで致命的なProbelmがあがることはなく、ファイブフィンガーも3〜4本、まずまずといったところ。どう考えても問題はない。確かに、過去との比較では問題はないかもしれない。だが、この先に目を向けたときに果たしてどうか。現状がどう目に映るかは、どこに向かうかによって変わる。向かう先が捉えられていなければ、問題もあらわれない。そして、ある時突然、後悔に直面する。

 こうした、これから向かう先に目を向けて、現状を捉え直すことを「むきなおり」と呼んでいる。「むきなおり」も「ふりかえり」同様に、自分たちの意識の高い低いに左右されないよう、タイムボックスを決めて定期的に行うようにしたい(2週1とか、月1と)。

 向かう先はぼんやりとしていることが多い。だから、想像力が問われる。このまま時間軸を先延ばしたとき、今やっていることはどういう事態に繋がるだろうか?定められたスケジュールをクリアできるのか?関係者が期待する品質が確保できているだろうか?はじめのローンチ後、運用は問題なくできそうだろうか?YES、ではその根拠は何が言える?

 楽観的にも、悲観的にもなる根拠が見つからないとしたら。それは、そっと悲観に倒しておくんだよ。チーム全員がそうでなくて良い。少なくとも自分だけは、妄想してみる。先回りして気づけることがあるかもしれない。

 もし何らかのデジタルプロダクトを作っているなら、たいてい不確実性との戦いに向き合っていることだろう。「自分たちが今見えていることがすべて」なんて、思わないよね。だったら、ファイブフィンガーが3-4本で、ふりかえりでProblemも挙がっていなかったらなおさら、疑うんだよ。その結果自体が「自分たちが気づけていないことに気づくきっかけ」に他ならない

 むきなおりし続けているならば、「もうこれで完璧」なんてときは訪れやしない。もし「問題がない」なら、向かう先が捉えられていないかもしれないよ。

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