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質問は1つではなく、3つ投げかける。

 理論やプラクティスというのは、言葉で表現できる以上、誰でもそれを読んで中身を理解することはできる。逆に言うと、ちょっと勉強すれば誰でも一定のことは語れるようになる。極端な話、理解してなくても概ねテキストを読み上げれば、何かを知っているようには見える。

 もちろん、実践に際してボロが出る。テキストで書かれている以外の事象が発生したり、判断を求められた場合に、対応ができない。だから、「この人はどこまでテキスト以上のことを、自分の身でもって掴んでいるのかな?」は、意外に簡単に測ることができる。あなたが現場や組織で直面している課題を、3つ投げてみれば良い。1つではなく、3つね。

 1つ目の課題は、おそらくテキストで表現されている。だから、概ね答えることができる。聞いてる側のあなたもなんとなくこうかな?と答えを持っていて、自説を確かめるための問いになる。

 2つ目の課題は、あなたの現場や組織の文脈を前提としたものになってくる。だから、少し難しくなる。このあたりから既に、「実は1回も自分でやったことがない」なんて相手の場合は、答えられなくる。

 3つ目の課題は、あなたも本当に厄介だと感じていて、できればそっと蓋をしておきたいようなもの。でも、問題意識の高くなっているあなたにとっては、早晩本気で取り組まなければならないと睨んでいる課題。組織内で、自分と同じような意識で考えてくれる相手もいない。

 3つ目の課題を投げかける段階では、目の前の相談相手がどのくらいの人か分かってきているので、察しの良いあなたは「ここでこんなこと聞いちゃダメだ」と、雰囲気を壊さないことを選び、問いかけ自体しないこともある。

 仕事柄、人の相談に乗ることが多い。答えているうちに、課題は深みを増して、厄介になっていく。

 本当に厄介なのはね、課題を解くのに「どうしたいかの判断が必要」になる場合でね。4つ目、5つ目あたりになると出てくる。こういう課題に「こうすべき」と確信をもって答えるような相談相手は、できるだけ身から遠ざけるようにしたい。価値観まで決めさせるんじゃないよ。

 ここまでくると、もはや答えなんて一意に定めようもなく。どうしたいか、それを判断するのは私ではなく、あなたの組織であり、あなた自身なのだ。私は好きにした、君らも好きにしろ。

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