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仕事の意義とは、到達点の高さか、それとも筋の良さか?

 若いときに考えていたのは「どれだけ大きな仕事ができるか」とか「他人からみて分かりやすい成果(つまり、見栄え・聴こえの良い仕事)が得られるか」どうかだったように思う。

 地味な仕事や細かい仕事で時間を費やすのはゴメンだと考えていた。つまり、仕事を観るときの視点は常に「他人」にあったように思う。他人からどう見られるか。仕事に大きさやわかりやすさを求めていたのは、その方が他人に理解され、認められやすいと信じていたからだろう。

 それから、歳をそれなりに食って仕事の観方が変わった。仕事で到達できる高さではなく、スタートラインの状態の方を観るようになった。相手に合わせるのではなく、自分の基準ややり方にどれだけ則って進められるか。

 自分の流儀を変えずに、最初から貫いていけるほど「筋が良い」と捉える。あくまで自分にとってのだ。そうではない仕事は、出来る限り避ける。視点は「自分」の方にある。

 最近になって、この10年の仕事を棚卸していて、さらに自分の仕事観が変わっていることに気づいた。気持ちが動き、自分から取り組みたいと思う仕事での関心の対象は、到達点の高さでも、開始時点の筋の良さでもなかった。仕事を出発して、ひとたび終えるまでの間に、どれほどの変化を起こせるかだ。例えるなら。80点を85点にすることでも、70点を90点にすることでもなく。3点を60点にできる方に惹かれる。

 このとき、仕事を観ている視点は「他人」でも、「自分」でもない。当事者である相手と、当事者の一員になりたい自分、つまり「私たち」。結果は驚くほどのものではないが、当事者にとってはとてつもなく大きな変化。そこから得られるのは、驚きと、次への期待。そんな興奮を分かち合う場に、願わくば自分も居させてもらいたい。それだけになっていた。

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