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チャリタブル・リーディングによって思索的対話を成り立たせる

 「独学の思考法」という本で、チャリタブル・リーディングという概念を知った。

 チャリタブル・リーディングとは、

(1) 相手が「一面の真理」を突いていると仮定する。
(2) チャリタブル・リーディングとクリティカル・シンキングは相互に両立する思考法である。
(3) チャリタブル・リーディングにおける対話者同士の関係性は「相互補助」的なものである。

独学の思考法 | 山野弘樹

ということらしい。

 寛容なものの見方とスタンス。論のアラや間違いを見つけて、突ついていくのではなく、むしろ補完するアイデアを出していくイメージ。さりとて、なにかも許容するのではなく、相手の論を受け止めつつ、整合性やより広がりが得られるように問いかけを行う。最後の「相互補助」、互助的な対話がこの概念の要所だろう。

 このような対話姿勢は、思索的対話(スペキュラティブ・ダイアログ)ととてもフィットする。思索するにあたって相手の発言を正論で正していくところに時間を費やすのではなく、補完するために相手の言いたいことを捉えるようにする。

 ただし、思索的対話が焦点を置く先は、自分側にも相手側にもあるのではなく、両者を含めた「場」において生み出されていく何かだと私は思う。「自分の学びを得るために対話する」あるいは「相手の論の不足のために対話する」以上に、「場にどれだけ新たなアイデアや論が生み出されたか」、ここに力点がある。

 この意味でフェアな場であり、強調はしないが場への「貢献」が期待されるところがある。そう、思索的対話とは一方的に教授がある講義でも、特定の誰か同士の対談でもない。全員が対話への参加者であり、創出のプレイヤーにあたる。

 場に乗っかっていよう、誰かが進めてくれるはずだ、ではなく、いかに自分もそこで対話進展の一役を担うか。進展と言ったって、何を話せばいいか分からない…と考え込む人もいるだろう。思索的対話においては、極論相槌を打っているだけでも良い。自分もそうだと思うなら、そうだと表明する。何も反応がなければ、対話が成り立ちようもない。

 おそらく黙って参加しているだけでも批判までされることはない。ただ、次も同じ機会に参加できるかまでは分からない。

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