ヤツは確かにそこにいた
ひょっとしたら自分史上初なのではないかと思われるできごとが起こった。
今日のランチは、アジフライ。
小ぶりのアジが2匹、パン粉をきれいにまとってカリカリに揚がっている。
1匹目を途中まで食べ進んだところで、ノドの右奥でヘロヘロと存在を誇示している何かがある。
「ん、刺さった?骨?・・・」
小骨であろうが頭であろうが皮であろうが、食べられるものは食べ尽くして硬い背骨くらいしか残さないくらいきれいに魚を食べる私だが、魚の骨がノドに刺さって苦労した経験は、覚えている限り、ない。
いや、考えてみれば、身近なところで「魚の骨が刺さった!」なんて騒いでいる人を見ることもまずないので、魚の骨がノドに刺さるということ自体、そもそもそう頻繁に発生するようなことでもないのか。
しかも、相手はアジフライだ。
骨なんて気にせずバリバリ食べられるようにしっかり下ごしらえをしてくれているはず。見つけづらいほどの細い小骨でも残っていたんだろうか。
しくしく痛むわけでもないし、ふとした瞬間に違和感を感じるくらいなので被害としては大して大きくはないが、性格の合わない奴がいちいちからんでくる時のようなうっとおしさはいかんともしがたい。
ご飯を丸のみするといいって聞いた気が・・・いやいやそれはノドを傷つけるからやってはいけないということになっているはず。しばらく放置するしかないか。
そう考えて、ランチはご飯粒一つ残さずたいらげ、事務所に戻ってノドの違和感を抱えながら午後の業務にいそしむ。
残業は1時間程度におさえて仕事を終え、買って帰らないといけないものもないので、Audibleで村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」第3部を聴きながら、車を走らせて帰宅。
さすがに週初めの月曜日だから疲れたなと、ソファに身を沈めたところで。
ない。
いつの間にか、ヤツがいなくなっている。
存在の記録を残すかのようなかすかな違和感を残して、ヤツは去ってしまった。
「それは骨じゃなくて、硬いとこ飲み込んでしもてちょっと傷ついただけかもしれんで」
妻は心ない言葉を投げかけてくる。
確かに、ヤツをこの目で見たわけではないので、ヤツではないのかもしれない。
しかし、そこには存在の記録の感覚が残っているのだ。
きっとヤツはいたんだ。
次は・・・次はいつ会えるんだろう。
・・・って、なんで私は魚の骨にシンパシーを感じているんだ?
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