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調整力

5人に5人分の適量のパンがあれば、何事も起こらない。
5人で仲良く食べてもいいし、それぞれがバラバラの場所で食べても、グループになりたい人と、一人で食べたい人に分かれて食べても、お腹は満たされる。

5人に4人分のパンしかない。
早くも、このあたりから、難しくなる。

一人の空腹を放置するのが忍びなければ、4人分のパンを5人で分けるとしても、ちょっと空腹を抱えることになる。そういうことが考えられるのに、本心からも4人の総意で、パンを分けてあげられるかどうか。

少なくとも話し合いは必要だし、「話し合い」をまとめるために誰かが知恵を絞らなければならないのが現実。「4人分はパンがある」状態だけに、返って難しいとも。

5人に3人分のパンしかないなら、尚のこと「調整」は難しいものになるのかな。殺し合って取り合うほどの不足でもなおいし、分ければ空腹はさらに重いものになる。こういう状況が長く続くとき、調整力がある者が登場しなければ、5人のグループの雰囲気は荒れる。

調整力とは「分け方」をデザインできることだし、5人を納得させる説得力があるということ。5人しかいないとなると多数決を用いたところで、かえって分裂と騒乱を呼び込むだけだっていうのが現実だ。

黙々と自分の分担に自閉していても、システムに参加していれば調整の必要なく「食えた」時代が長く続きました。分け前のデザインなんて、よほどの高齢でも、ほぼ未経験でしょう。

でも、これからは違う。

政府や自治体をして、すでにダッチロール状態ですから、頼りの「システム」は、機能不全に陥る。

調整は自前です。

マンションの管理組合の理事会に出席すると、もうとっくに退職した後なのに、おじいちゃんたちの自己紹介は、かつて在職していた会社名と肩書。で、行事案にチェックは入れるが、発案することはできず、会議をまとめる人も現れない。みんながみんなバラバラに発言して、時間だけが過ぎていくという…さすが労働生産性で問題視される、現状のわが国の一端を見るような。

会長さんは命令すればみんな従うと思っている。会社に勤めていた頃、部下が、彼の言うことに従ったのは、彼の人間力によってではなく、会社が与えた役職があったればこそ、それも年功序列の賜物。

こんな感じの現状が急に変わるかな。改善しちゃうんでしょうか。

僕は、たいていのことは、自分一人で完結しちゃえるように努力した方が早いような気がするな。

でもね。一人では決してできないこともある。例えば、黙っていても、ちゃんとごみ収集が行われていた時代が終わり、上下水道に補修の必要が生じた場合など、これを「自分一人」で解決するのは不可能。防災もそうかな。非常持ち出し袋で済まないのが現実の震災被災でしょう。

やっぱり「調整力皆無」ってわけにはいかないんだろうな。コロナ禍のときに骨折っても病院にかかるの大変だったでしょ。僕もコロナではない高熱に対応してはもらえませんでした。

けっこう来てるんです。
行政サービスの状況は1980年代とは明らかに違う。

少なくとも、大勢が行く方についていけばいいんだな…という認識には修正を加えておいた方がいい。これことくらいは自覚しておいた方がよさそうなんだ。