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何も変えないことがリスク

あのとき

頼りにしていた連合艦隊が、市井の国民が預かり知らぬところで、すでに壊滅していた。オフクロ方のばあちゃんは、空襲が激しくなってから「連合艦隊は何をしているんだろう」と思ったそうだ。

あまり褒められたことではないが、こういう人も少なくなたっかろう。

高度成長期以降、この国で頼りにされてきたのが、自動産業産業であり、家電系のメーカーだ。でも、「家電系」では、すでにシャープがこの国の企業ではなく、東芝は風前の灯だ。V字回復したSONYも、経営陣も出資者についても「この国の」というより、国際的な「グローバル企業」として再生した。

「自動車産業」でも、すでに、大手の「部品メーカー」のいくつかは外国資本に食われている。NISSANだって、あれ以来、ルノーの意向を無視して経営するのは不可能だろう。

あのとき

諸外国、特にアメリカは、小型の空母に少数の戦闘機を配備、それを10〜15隻に編成し、敵艦には航空機による接近戦で戦った。
それに対し、この国は明治以来の「大艦巨砲」主義をアジャストできず、「大和」「武蔵」を建造した。
「巨砲」は敵艦との距離が数十キロと離れていなければ意味を成さず、接近戦には無力。少数の戦闘機、潜水艦攻撃にやられた。
でも、アメリカの接近戦術が明確になるまでは、戦闘機に対しての防御は皆無に等しく、後に接近戦用の銃座が増設されるが、その銃座に兵士を護るシールドはなく、敵襲が始まれば、間もなく銃座の兵士はバラバラにされたという。

こんな感じで、すでに「半導体」では負けが見えている。
「AV車」でも同様だ。

一方、すでに、僕らはAmazonで買い物をし、PayPayで決済する。銀行を介さずとも、金銭と同等のポイントの送受信もできるという生活に慣れてしまっている。
googleで情報を得て、X(Twitter)やFacebookで情報を交換し、テレビ番組よりTikTokの配信を楽しみにする。

つまり、僕らの生活は、「これから敗戦」というより、すでに現在進行形で占領されはじめている。イマドキは戦闘のない戦争もある。だから、「敗戦」でさえステルスだ。気がつくと完全に負けている。

あのとき

この国は戦場にいる兵士に食糧の現地調達を求めた。兵士の戦士の60%は、戦闘に拠るものではなく餓死だったとするデータもある。
戦闘機の戦闘能力を高めるために乗務員の防御のための装甲を薄くして、軍幹部は「気合いで乗り切れ」といった。その結果。優秀なパイロットの多くが亡くなった。

アメリカはパイロットの養成に金がかかることを念頭に、機体が重くなっても乗務員のための装甲は厚くした。
野戦病院の傷病兵のために集団でアメリカ軍に投降した日本の軍医が、移送のために乗り組んだ輸送船で、アイスコーヒーが出ことに驚いている。

この国は市民を市民として動員するのではなく、市民を奴隷化してから隷属させる。組織の意思がどうあれ、上下関係が明確なら、上席は上席の意思で部下を使役する。

情があるとかないかより、こんな組織ワークは、それとして非効率である。あれから80年もたって、この部分は、ほとんど変わっていない。だから、この「非効率さ」故に敗戦国になる。

こんな国の負け戦は悲惨だ。なにしろ「基本的な人権」からして建前に過ぎない。今頃になって、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」から「憲法14条」にスポットが当たり、やんやの喝采があがるほど、日本国憲法だって「建前」だし、「法の下に平等」ではないから、国会議員になれば納税の義務さえあってないようなものだ。

この国の民主主義は「建前」だ。

これから、僕らには絶望的な未来が待ち受けている。
何しろ「人権」でさえ「建前」の国で、その「建前」でさえ風前の灯だ。前の敗戦直後のように、弱肉強食が本音の「世間」が牙を向く。

(野坂昭如氏の小説であり、ジブリ映画の「火垂るの墓」を思い出してみるといい)

アベノミクスは全治20年ともいわれている。にもかかわらずザイム真理教は、竹下内閣の頃に掲げた「消費税20%」を目指して着々と準備を進めており、その布石としての「インボイス」を実現したといわれる。

今日の有権者の無関心と政治の無力は、そうした暗い未来を予感させる。

僕らの希望は、いかにして「闇市から美空ひばりを産み出す」かだ。
大規模な資本の先行投資の必要もなく、個人力に力点がある「知価生産」には逆転の可能性がある。

それしかない。それを目指す以外は地獄でしかない。

工業生産時代から、とっくに知価生産時代に移行している国際社会の変転に合わせて、新しい戦後社会を歩み出す。

自動車も家電も、あのときは経産省が主導したが、今度は、それじゃだめだ。知価生産には集団生産が効かない(だから「個人力に力点がある」ともいえる)。ダイバーシティがデフォルトになる時代でもある。

指示を待つのではなく、プリペアードされた雛形を探すのでもなく、市井の人々が自律的に等身大の「あした」を切り拓いてゆく。「一億総中流」ではない多様性の時代だからこそ、そのうち、気にすべき「世間」は消滅する。自分一人で、少数の仲間たちで、行けばいい。

イマドキ、首をすくめて嵐が過ぎ去るのを待つ考え方ほどリスクなことはない。ボートレースのCMではないが「何も変えないことがリスク」な時代になってしまったということを自覚すべきだ。

衆議を待つな。


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