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サスティナビリティ

会社で「サスティナビリティ」に取り組む。
担当者になって、それなりに充実感を味わっている。

彼の「サスティナビリティ」ってなんだろう。
受けてきた教育に準じて「これ一冊でわかるサスティナビリティ」を読んで
お作法を理解するようにイメージを掴んで
それを会社の会議で披露する。
「サスティナビリティ」の担当者として、ふさわしい振る舞いをしようとする。ときにはメディアの取材などがあって、それらしいことを言ったりする。

まぁ。それでも、彼は「意識高い系」だ。

でも、彼の私生活はどうだろう。どこまで「サスティナビリティ」を体現しているのだろう。

そもそも「サスティナビリティ」という言葉の、その「目的」をちゃんと理解しているのだろうか。「目的」は「らしさ」を要求しているのではない。
「マイクロプラスチック」的な人間による環境破壊は、土壌調査からも1950年代から急激に顕著になってきた。今は新品のTシャツからも「マイクロプラスチック」は発券されている。もう蔓延してしまっているのだ。

自然に対してのこうした「人間の仕業」、これにストップをかけるために「大量生産→大量消費→大量廃棄」を、政策的にアジャストするだけでなく、各人のライフスタイルをアジャストしていく。「サスティナビリティ」はこうした目的を、実際に「達成する」ことだ。「サスティナビリティ」に取り組んでいる「らしさ」を演出することではない。

会社で「サスティナビリティ」を担当する彼は、どれほど「ことの深刻さ」を理解しているだろう。会社からの帰り道、スーパーに寄って買い物をする。その買い物は「サスティナビリティ」を達成するに充分なものだろうか。担当を外れた後の彼はどうか。

「サスティナビリティ」は難しい。

インドネシアには、プラスチック・ゴミを分別して天日干しして、燃料として食品加工工場などに廉価で売って、やっと生計を立てている「プラスチック農家」と呼ばれている人たちがいる。もちろんプラスチックは燃料として利用される。安くて火力が得られるからだ。燃やせば二酸化炭素云々の前にダイオキシンに汚染されるのは必定だ。
彼らが天日干しするプラスチックは、アジア各地を中心に世界中から廃遺物として、この国に持ち込まれたものだ。もちろん日本のものもある。

これを、会社で「サスティナビリティ」に取り組む彼はどう受け止めるのか。やっぱり「本音と建前」で処理して終わるのか。

状況は深刻だ。でも状況は面妖だ。環境のことだけでなく「貧困」のことだって考えなければならない。

でも、政府や有志だけで、状況が好転するとも思えない。

「茶道という作法(段取り)」だけに熟達して「喫茶」を知らず。

それでは事が済まなくなってきた時代に、僕らはどうしよう。
SNSがある今日。知らぬ存ぜぬでは済まない時代に生きていて。