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神頼み、効かないですから

1950年代の後半から経済の高度成長期に入って、1980年代から1990年代初頭くらいまでの日本は、例えていうなら、下のイラストのような状態にあったんだと思います。

樹にはそこそこに実がなっていて、分配方法にそんなに頭を悩ませなくても、まあまあ、みんなに行き渡る。仮に「人よりたくさんの実をとりたい」と思う人がいても、工夫というよりは「朝早くから頑張る」みたいな体力勝負だし、多少、ずる賢くても、もともと「樹になってる実」の数が多いわけですから、顔をしかめられるくらい…そんなに深刻な対立を生むようなこともなかったのだと思います。

でも、今は状況がまったく違います。全員に一個ずつは行き渡らないくらいの実しかならないし、これから、さらに減っていくと。それ故に分配にも工夫が必要ですし、体力勝負で出世できるわけでもなく、がむしゃらに頑張れば「出世」という時代でもないわけです。それは、スーダラ時代の遠い昔の、しかも幻想でした。

何をするにも調整が必要で、その調整には工夫が必要だし、ストレスは溜まる。ドア to ドアな頑張りが成績アップに繋がる時代ではありませんし、ヘタをすると「木」吐かれかけている。これではご飯にありつけない。過当競争に巻き込まれるのも嫌、じゃぁ、自分で木を植えようか…そう思っていたら、土壌はカラカラの砂地に変わり果てていた(だから、実なりも悪い)。いつの間に、というわけです。EV車も半導体も、気がつけば周回遅れです。

でも、それでも自分ひとりで畑を耕すかな。「みんな」に参加して安心を得ようとするよりは確率が高そうです。

そのためにも、まずは「これまで」を反すうし「これから」を俯瞰する。そういうことが可能な自分を創ることでしょう。書いてても、こりゃ至難だなと思うんですが、何しろ、教科書が書けない時代です。

しかたないんです。

人生は続くよ、死ねるまでは。
で、たいていは、神頼み、効かないですから。