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何から準備を

ひょっとしたら「闇市」からのやり直し。

「闇市から」のために、何から準備を始めるべきか…

1945(昭和20)年の敗戦直後、人々はまず自らの所有物から「当面、必要のないモノ」を「売る」を試みたようだ。手元に残っていた書籍や鍋釜…でも「統制下」に生きて来て、誰もがステレオタイプな生活を送っていたので、自分にとっての不用品は相手にとっても不用品。さっぱり売れなかったそうだ。

(ズボンは履いているのだからと下着を売ろうとしたら、誰も買ってくれなかったという話もある。でも、これはステレオタイプとは別の話し)

次に

多くの人が試みたのが何かをつくって「売る」。持てる技術を活かして何かを修理して手間賃を得るということも。

でもね。

零戦をつくっていたエリート技術者が、流しで鍋釜を修理していた時代。素人芸ではなかなか商売にはならなかったようだ。

うちのひいばあちゃんは、進駐軍の食堂のスタッフにわたりをつけて、ホットケーキ・ミックスを横流ししてもらって闇市でホット・ケーキを焼いて売っていた。たぶん、とんでもないクオリティのものだったんだと思うけれど、飛ぶように売れたそうだ。
当時、この国は超インフレ。統制も効いてないから、きょうの仕入れ値があしたは1.5倍ということもあったが、進駐軍のキャンプの中はそういうことと無縁。そういう計算もあったようだ。

(毎日、両手にバケツを下げてホットケーキ・ミックスを受け取りに行くのは小学生だったオフクロの仕事。子どもだったので、キャンプへの出入りが楽だったというのがその理由)

戦争が始まるまではわが家も酒屋と料理屋。ひいばあちゃんの躊躇ない決断と段取りのスピード、交渉力には、ひたすら頭の下がるところだ。

ちなみに空襲被害の少なかったわが町内で、畳屋のおじいちゃんをディレクターに据えて、女性による畳工場を始めていて、これも、それなりに成功を収めていたようだ。港湾労務者の街だったから、トーチャンたちが戦地から帰ってくるまでのツナギに、ずいぶん感謝されたようだ。

ひとつにマーケティング能力なんだろうな。

でも、それより勝負の分かれ目は「躊躇ない決断」だと思う。状況が読めていても、踏み出せなきゃ、元も子もない。その上で「段取りのスピード、交渉力」。つまりは「予習ができていた」とうことでもある。

「段取り、交渉」ほど面倒なことはない。この部分をこそ、平和な時代にはお金払って他人任せにしがちなことでもある。しかも、現在は1945(昭和20)年当時とは比べ物にならない「高度サービス社会」。どの分野にも代理店がいて、日頃の「ご家庭」の掃除にさえ代行業者がいる…

でも、世の中に何かがあれば、たちまち機能しなくなるのが、この部分。
だから、準備の一歩は「なんでも自分でやる」クセをつけることから。

このことで、ピンチをチャンスに替えることができる。