茶室のような喫茶店
珈琲の味については
今もこの店のマスターにに教えてもらったんだと思っている。
まだ生意気な芸術学科の学生だった頃の話しだ。
世田谷の住宅街
ローシェンナー色の佐官塀 勝手口のような板戸を開けて入ってゆく
知らない人は絶対に入らない。
営業中は板戸の脇に小さな和紙貼の灯に灯りが入るだけ。
(その灯には何も書いていない)
板戸をくぐると小さな庭が切ってあって、飛び石を手繰っていくと
ガラス張りの空間があって三人ほどが定員のカウンターとテーブル席がひとつ。キッチンがあって、あとは焙煎機。
天井は高いが、そんなに広い空間ではない。
メニューはシティ・ローストとミディアム・ロースト。
ニューヨーク・スタイルのチーズケーキだけ。
豆も売っていたけど「買ってってもいいけど、ここで飲んでるようには入らないよ」とマスターはそんな感じ。彼は、だいたいTシャツとオールドのジーンズ。
僕にも時間があった頃のことだから、いろいろな話をした。
でも、思い出そうとすると、具体的には何も思い出せない。
何を話したんだけ。もちろん「珈琲」の話の成分は多かったんだけど…
あれは夢だったのではないかと思う所以だ。
でも「舌」は、しっかりと、教えてもらった「味」を記憶している。
産地ごとに、農園ごとに、さまざまな「珈琲」を体験させてもらった。
(話のついでに、自分用の豆で珈琲を淹れてくれた)
彼は、自分のことを「まぁ、家を潰すボンボンだな」と言っていた。
この店を紹介してくれた人と一緒に初めてこの店を訪れたとき以外だと
僕がいた時間で、他のお客さんに出会ったことは1回しかない。
喫茶店で食ってる感じはなかった。
窓の外には四季を感じた。
その庭を眺めながら珈琲カップを傾けている時間もご馳走だった。
カップは何焼だったんだろう。でも上品な土ものだった。
いい時間の余韻を残して
数年すると、マスターは亡くなってしまった。
今の僕の年齢より若かったと思う。
夢のような時間だった。
否、今でも半分、夢だったんじゃないかと思っている。
今は、あの屋敷も無くなってしまって
小洒落たマンションになっている。