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梓みちよさんはグッときていた

 ある日、TV番組の中で、中村八大さんの楽曲「こんにちは赤ちゃん」が唄われている、当時の映像が紹介されていた。放送されていたのは当時(昭和38=1963年)の人気バラエティー「夢で会いましょう」。中村八大さんがピアノを弾いていて、その傍らに作詞の永六輔さんがいる。真ん中に梓みちよさんがいて、ライブ演奏という構図。

最初は、梓みちよさん、永さんや中村さんにマイクを向けたりして、和やかに滑り出すが、歌が進むに連れて、明らかに目には涙が溜っていく…僕には、子どもがいないから、想像でしかないんだけれど、なんていうんだろう…親が子どもに対して思う切々とした気持ちというのか…当然、悲しいわけじゃないんだけれど…子どもの無事や、行く末の幸福を願う気持ちが、心を泣かせてしまうというのか…当時の梓さんにもお子さんはいないはずだが、あの歌詞で、あのメロディを唄っていると、ホントにお母さんの気持ちに同化してしまうんではないかと、そんなことを思った。

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「その小さな手、つぶらな瞳」という部分で、たぶん、赤ちゃんの可愛さがリアルにイメージされ、「ふたりだけの愛のしるし/すこやかに美しく育てと祈る」ときて、最後に、ちょっとフォルテ・シモな感じで、「お願がい赤ちゃん/おやすみ赤ちゃん/私がママよ」と唄い上げる感じになる…

実際、梓さん、唄い上げる直前のところで、一度、ぐっと来て歌詞が詰まりかけ、唄い上げた後には、ほほを涙をつたっているという状況になっていた。僕は、確かにそうさせるようなメロディだよなーと思った。たぶん、楽譜や歌詞を追って唄うような感じだと難しいと思うけれど、気持ちから唄うような人なら、このメロディ、ホントに、ぐっと来ちゃうんだろうなー…そう思ったんだ。

永さんや中村八大さんには、いつも、自分の観たり、体験したりすることを、わがことのように感情を動かしながら見つめることができたんだろう。で、それをメロディや言葉に置き換えて表現することができる。

なんていうんでしょう…結局、ホントにやさしい方々なんだろう。

私が大事で、だから、私が共感できるものには感情を動かされるが、そうでないものには冷淡っていうんじゃ、他人に思わず涙を流させてしまうような楽曲を産み出すことはできないだろうから。

いい時代でしたね。梓みちよさん。                  お疲れさまでした。ありがとうございました。