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そろそろ20世紀が終わる

孤立的に働いている。四面楚歌という感じ。量産した製品を効率よく販売して、その利益で食っていく。それじゃあ、Googleというビジネスが成り立つ時代には、疲弊だけが残るだけだ。周回遅れでは済まない水をあけられてしまう。良し悪しではなく、時代の要請。
こういう時代に即した策を考えて提案する。100人中95人以上が首を傾げる。でも、何かを感じるのか。異端視しながら否決にはせず、ご自由にという態度。こちらはストレスが溜まる。眠れない夜を過ごすことになる。

駒村吉重さんの著作「このごろのこと」に以下のような一説がある。

 アベノミクスを熱烈に応援している、ボストンテリアを連れたおじさんがおりました。法人を得意とする保険代理店を経営しておられた。
 総選挙で大勝をおさめた第二次安倍政権が発足すると、メディアが景気浮揚を持ち上げました。「やっぱ自民だ。安倍総理だ!」とおじさんも上機嫌でした。商売の回転もよくなったようです。でも、わたしには真顔でこういいました。
「まだ本物じゃないんだな」
「ホンモノ?」
「そうさ、ホンモノ(好景気)はね、大田区あたりの中小企業がすっごく潤うんだ。こんなもんじゃない!」
「製造業者さん?」
「日本はモノづくりだ。製造の中小が儲かってたら経済は最強なんだよ」
そんな時代はもう来ないよ……
とは、言えませんでした。

まさに「そんな時代はもう来ないよ…」「とは、言えませんでした」というストレス。久しぶりに、あの時代をともにした先輩たちを訪ねてみても、やっぱり「そんな時代はもう来ないよ…」という感じ。さらには1980年代末の再来を願っている感じ。あの頃が忘れられない。それが本音。やりきれない気持ちにになって帰ってくる。当然なのかもしれないけれど、アジャストできている人はおらず、アジャストの必要すら感じていない。でもね。インターネットもSNSもAIもあって、これで1980年代と同じわけがないんだ。

空襲はないから敗戦が可視化されることもないんだろう。高層のマンションやオフィスビルに、どのくらいの空室があるのかでさえ、通行人の目にさやかと映ることもない。街かどのコインパーキングの設置箇所の多さや稼働率の低さだって見過ごすことができる。

だからなんだろうな。江戸から明治、戦前・戦中から戦後へと、怒涛の変化が目前に迫っていることに無自覚だ。

でもね。僕はまるでイソップの「狼少年」の気分。だから、夜も眠れなくなるほどのストレスなんだ。

そんな僕が、SNSを通じて、自分の生活圏ではぜったいに出会うことのない、さまざまな人々との出会いに恵まれ、励まされ、今に至るもなんとか自分を保つことができている(もちろん、奥さんもね)。

だからこそ「変わるよ」と実感もしてもいる。「顔が広い」も質的に変わっていくんだろう。異業種交流会、コネがどうこう言ってた20世紀もそろそろが終わりそうだ。

さあ、実験を続けよう。たったひとりでも「できてしまう」時代でもある。