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テナント出店

とある街に、行列の絶えない中華料理屋さんがあった。
だいたい並び始めてから1時間くらいでテーブルにつけるかどうか…駅からも遠い場所にあるから、わざわざタクシーがいらっしゃる方もいた。

そういうお店だから、朝から仕込みをしても午後6時からの開店が精一杯。それで午前1時まで営業して、また午前中から仕込みをする…それでも大変だったと思う。

あるとき、このお店の評判を聞きつけて、とあるショッピングタウンが出店を要請。最初は頑なに拒否していた店主も、日参する若い担当者の熱意にほだされるかっこうで、ついにそのショッピングタウンに出店することを決める。彼らしく「2店舗はできない」ということで、旧店舗は閉めて背水の陣でショッピング・タウンに出店をした。

ところが、すぐに上手くいかなくなった。

行列をなすお客さんについて店側から整理要員を出してくれと要請があったところで施設管理者ともめ、そもそも、仕込みの時間や営業時間の制約も店主には窮屈だったし、出店時の内装業者も自由に選べず、やりたくもないキャンペーンの協力費など店主のストレスは、すでに頂点に達していたと。

そして

この中華料理屋さんはショッピングタウンから退店していった。
1年も保たなかった。

あれから数年以上もたつのに、すっかり疲れてしまったご店主は未だにお店を再開してはいない。すでにいいお歳なはずだし、このまま引退という可能性もある。

誰が悪いというわけでもないのだろうが、ボタンの掛け違いで済ますにはあまりにも惜しいことだ。実際に「まち文化」の損失は計り知れない。

かつて、彼のもとに日参した担当者は、すでに全員が退職し、管理事務所のスタッフにも当時を知る者はいない。

もういいかげん、僕らも気づくべきなのだろう。

ショッピングタウンにも「タウン」という名称がついているが、あれは「街」ではないということ。あそこに暮らしている人はひとりもいないし、なにより、ショッピングタウンは、素人を軍隊のように編成しビジネスを行っているところ。最大の目的は「利益」。働く人も大半が賃金労働者、目的は賃金を得ること。給料が一定なら、面倒臭い仕事を引き受ければ、実質、それだけ減収。「まち文化」に責任を持って働いているわけでもない。

だから無邪気な人々が無責任に「まち文化」を破壊する機関でもあるということ。気難しいが評判のよい職人には居場所はなくて当然であること。

もう、そろそろ、僕らは自分にかけられた呪文を解くべきなんだろう。

ショッピング・タウン、ショッピング・モール
この「暮らし」がない街。
ここは地獄の一丁目…は言い過ぎかもしれないけれど。

なぜって、儲けを吸い上げられて、暮らしている「まち」の文化を破壊されているのは僕らだから。