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「dream come true」じゃない方

最近 しばしば見る「夢」がある。

(「dream come true」じゃなくて睡眠中に見る「夢」の方)

そこは「コの字」状の屋台である。
「屋台」だと思うのは、カウンターの四隅に細い柱があるからだ。
あいまいだが、中には調理白衣のオヤジさんの背中があるような気がする。

僕は、なぜかギターを抱えながらカウンター隅に座っている。

向こう側に男女ひとりずつのお客が一組。
なぜか、そのうちのひとりは必ずマスメデイアで見たことがある顔だ。
客は僕を含めて三人。

そこに、遅刻の比例を詫びる新参の客が来る。
僕の傍に座る。「久しぶり」などと言っている。
話ぶりからすれば、どうやら「同級生」らしい。

ところが、全く心当たりがない顔。男性だったり、女性だったり。
上機嫌で近況を語っている。

その「近況」、男性だったらゴルフ、女性だったら趣味の教室に熱心に取り組んでいることなどを熱っぽく語る。

話の細部は記憶に残っていないけれど、その熱量については体感的な記憶がある。

内心、僕は「あゝ、なんてフツウなんだ」とガッカリしているのだが、「それで、それで」などと興味ありげに彼らの話しを聞いている。

本音と建前の乖離に、僕はいたたまれなくなってそこで目が覚める。
現実に帰ってきても、しばらくは胸に重さが残っている。

最近、しばしば見る夢。

たぶん、何かが山場を迎えてるんだな。分水嶺に立っているというか。
同じような夢を連続して見る時って、これまでもそうだった。

僕は、寝てる間に見る「夢」って、言語化できない「右脳」の状況を、ビジブルに、こちらに認識させる「作用」なのかなと思っている。

焦燥感とか、寂しさとか、胸で感じるもの。
また、そうしたことがもたらすストレスを、ビジブルに認識させることで、ガス抜きしてるいるのかなとも。

だから、起きた後の「やるせない重み」も含めて、自然に任せるべきだと思っている。

自分のなかで、なんらかの決着がつけば、こういう、あまり嬉しくない夢も、やがては見なくなる。これまでもそうだった。

それでいい、と。