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変わり者たち

還暦を過ぎてなんだけれど、最近はっきりしたことがある。
僕はね。たぶん「みんな」を助けたいとは思っていないんだ。だから議員さんにはなれない。

一方、自らの周辺においてはよほどの変わり者でも、この国を俯瞰すれば、何十万、何百万と、自分と同種に変わり者は点在している。脳卒中の後遺症で足をひきづりながらか、補装具をつけている人が300万人以上はいるのに、街かかどで滅多にお目にかかることがないのと同じだ。

でも彼らは生きている。マイノリティなんだから孤立的で、公共政策も届くか届かないか。自立して生きてこざるを得なかったから、たぶん強者たちだが、それでも病気は怖いはずだ。高齢になるのも怖いだろう。

僕は、僕も「変わり者」として、共感できる(共感してもらえる)「変わり者」たちと、これからを過ごしていきたいと思っている。「みんな」は冷たいからね。生活互助な、あるいは協働な、関係を築いていきたいんだ。

変わり者にも(変わり者こそ)それぞれだ。だから、慎重に近接できるかどうかは見定めていきたい。
その方が「和」としては美しいものが描けそうだ。

これからは世代でも性別でもなく、ライフ・コンセプトによって。

SNSがある時代だから、点在する変わり者に呼びかけることができるようになった。だから、可能性はあるんだ。