菊池と虐待について

虐待。精神科医はそう言った。
父からされた嫌だったこと、強く記憶に残っていることを書き出して病院に持っていき、見せたらこともなげに。それは虐待だねと。
意外だったし、意外すぎてまあでも典型的なそれとは違いますよねみないなことを言ったら、典型的なそれだと思うと言われる。
さすが専門家は違うなあと驚いて、そのあと友人にラインをしたら、虐待じゃなければ何だと思ってたんですかと逆に驚かれた。信じられないといった様子だった。
わからなかった。年齢は26?27?のときのことだ。(私の記憶は時間との結び付きが曖昧)
家族といるのが辛かった。っていうか今も辛い。ずっと緊張していなければならない。一つ屋根の下にいるだけで、どうしてもくつろげない。同じ部屋ならもっと。
僕の両親はたいてい普通の人に見えるらしい。少なくとも虐待などするようには見えないようだ。
ただ、自分がされたことやその時おもったことを知る人が(それも精神科の医師を含めた人が)虐待だとはっきり言い切るのならら多分そうなんだろう。
実感はない。
ただ、自分が当然のようにされて育ってきたことを他人にするとすごく傷つくのはよく目にしてきた。なんで泣いていたのか、どうしてそんなに怒るのかよくわからない。
他人との付き合いはあまりうまくいかないし、すごくどきどきする。まごつく。空回りする。
もしかしたら、その虐待が(本当に虐待があったとして)なかったらもう少しましだったんだろうか?
ほとんどの人たちは親からもっとしあわせな待遇を受けていて、もっと安らかな関係を持てているんだろうか?
(そりゃ、家庭なんて千差万別なんだろうけど)
別に家族を責めたいとか、自己弁護したいとかそういうことではない。そういう感情が生まれないわけではないけど、そういう主張をしたいとは思わない。
ただ、自分の気付かないところで自分にとっての重大事がずっと起きていて、そしてそれはあらかた終わってしまっていた。そのなんとなく空っぽな感じに、どうしようもない虚しさがある。
もしその「虐待」が無かったら、毎夜恐怖と寂しさにのたうちまわることも、一日のほとんどを寝て過ごすことも、仕事も勉学もまともにこなせないことも、少しはましだったりしたんだろうか?
ただセックスの対象とされることでのみ心底から愛情を実感できるようなことも、それを求めて誰にでもついていったりすることも、なかったんだろうか?
どうも一人で解きほぐすのは困難に感じるので、誰かに相談しようと思う。しかし、誰に?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?