李晋三物語 その二


李晋三物語 その二、なんだが、どうも祟られてるらしくて、書こうとしたら不整脈が出るわ、書き終えたと思ったらミスタッチで全部消えるわ、このネタはヤバいです。慎重に行きましょう。

さて、三島楽寿園です。
現在の楽寿園のある場所は古くは小浜山と呼ばれ、愛染院(三嶋大社別当。安政の大地震により全壊後本格的には再建されず、明治初期の神仏分離令により廃寺)、浅間神社、広瀬神社の社寺域であった[1]。1890年(明治23年)、この場所に小松宮彰仁親王の別邸が造営された。彰仁の没後、1911年(明治44年)に韓国王世子である李垠の別邸となり、昌徳宮と呼ばれた。
という事で、1911年、日韓併合のすぐあとに、韓国王族のための別宅として与えられたわけだが、ちなみに本宅は赤坂プリンスホテルのある場所にあった。そして高帝の子の李垠なんだが、「この昌徳宮に忍び込んで遊んでいる近所の,子供たちを寂しそうに眺めていた」と、三島に伝わっているんだが、1927年(昭和2年)には民間に売られているので、その前の話となる。
その頃の李垠なんだが、1921年に日本の皇族と結婚し、1922年に産まれた子どもを死なせてますね。これはその当時から、韓国側か日本側か、どちらかの手によって毒殺された、という説があって、昌徳宮(今の楽寿園)に忍び込んで遊んでいる近所の子どもたちを、寂しそうに見ていたというのは、「うちの子も生きていれば、あれくらいの年齢だったかなぁ」というような感慨に耽っていたのではないか、と想像したりするんだが、ところで。
1922年に死んだはずの息子「晋」が、実は、死んでなかったという話もあって、跡取りの子どもというのは、良く毒を飲まされて殺される時代だったので、死んだ事にして、民間人に預けられた、という奇想天外な物語だ。
まぁ、いくら奇想天外でも、時代劇みたいな仇討ちまで、登場する李晋三物語なので、「毒殺を恐れて民間人に預けられる」というのも、ありそうな話ではある。あっても、不思議じゃない。その、預けた相手というのが、その後国会議員となる安倍寛です。その当時は東京帝国大学の法学部政治学科を出たものの、経営していた自転車工場が、関東大震災で潰れて、失業中だった。この安倍寛が 静子(陸軍軍医監本堂恒次郎の長女、陸軍大将大島義昌の孫娘)という女と結婚するわけです。
安倍寛は、「大津聖人」と呼ばれるほどの人格者だったそうだが、結婚して7ヶ月で晋太郎誕生。ところが80日後には静子と離縁、という奇妙な話になるわけだが、なので、静子が父親に頼まれて、朝鮮王・李垠と日本皇族の間に、生まれた隠し子、李晋を連れて嫁入りし、自分が生んだことにしたんじゃないかと、まぁ、そういう事を言う人もいる。もちろん都市伝説なので、ショーコが~とかエビデンスが~とか言われても困るが。というわけで、安倍晋太郎は、安倍寛の子どもではなく、朝鮮王・李垠と日本皇族の間に産まれた子どもだという話になる。
アベシンゾーが日本皇室に、対して傲慢不遜な態度をとるのも、そうした出自の秘密を知っていたからじゃないかと。まず「晋」がいて、それがリニューアルしてシン・晋、晋太郎になり、その息子だから晋三と。晋三の3は、三男ではなく、晋3世という意味なのだ! 
なので、統一凶会の最終目的も、アベシンゾーを朝鮮王として、日本を韓国が併合し、天皇家を廃止してアベシンゾーが初代韓日帝国皇帝と。なって日本を含む大朝鮮帝国を作り上げることだ、というようなお噂があったりするんだが、
あいにくとアベシンゾーは、大韓帝国を滅ぼした愚鈍な高帝の血筋なので、自分の撒いたタネで自分が暗殺されるというGJw さすが朝鮮愚鈍王三代目w というわけで、李晋三物語の2回目、ちょうど時間となりました、この続きはまたの機会にw

なぜ李晋(晋太郎)を安倍寛の息子にしたのか?母方祖父の陸軍軍医がカギですわな | 2022年8月 4日 23:06 | 
まさか朝鮮王室(の出産)も担当した陸軍軍医だったとは
この説を2chで初めて見た時、ヘーって思いましたわ


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