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好みなんて人それぞれ。黙っとけ。

ランドクルーザープラドが欲しい。
そう思ってからは街中でも多く見かけるようになったような気がする。
自分興味を持っている時とそうでない時では、世界の見え方は違うらしい。

近い将来、現在の車を買い換える時には是非とも購入したいと思っている。
とりあえずどれくらいの値段なのだろうと思って調べてみた。
新車は難しい。そのため中古車での購入を考えてみた。人気車種であるため専門店が存在するらしい。

想像していたよりもリーズナブルなものが見つかった。
安く設定しているのはそれ相応の理由があるからなのだろうが、それでもかろうじて自分の手の届く範囲ではあるのだと嬉しくなった。

さらに情報収集をしてみようと思った。
やはり大型SUV。自動車税や燃費に関しては生の声を聞きたいと思いTwitterで検索してみた。自動車税は最低でも5万円。燃費に関しては幅が大きい。
購入して満足している人、不満があったから売却した人、沢山の方がいた。

雲行きが怪しくなるのはここからである。
ある特定の年式、ある特定のデザインの車体を異常なほど毛嫌いするユーザーが一定数いた。

嬉しそうに買い替えを報告してきた同僚が居たから心底引いた
隣にその型の車が駐車してきて、出庫した(不快感から?)
あんなニセモノ乗っている人の気が知れない
同種の生き物だと思いたくない

車の型式やデザインだけで、よくもこんなに見ず知らずの他者を貶すことができるものだ。気軽に調べただけなのに、その異常な執着に恐怖すら覚えた。

人の趣味嗜好なんて誰も指図はできない。
それを理解していない人が多いように思う。
自分の好みが絶対である。そう思っている人が多い。

プロ野球なんかもそんな感じがする。
特定の球団を一生懸命に応援するあまり、他球団を否定的に見るファンも多い。
コロナ禍になるまでは観戦にもよく行った。
そこでは相手のチームの選手を落とすような発言がよく見られた。

怪我しろ
くたばれ

こんな発言はザラだった。それが同じチームを応援する人の発言であろうが、対戦相手のファンであろうが関係なしに不快になった。
この話は倫理的にもいただけないものなので、先の例とは少し違うかもしれない。
ただ自分の好きなもの以外に排他的になっている部分は同じだ。

どんな服を聞いて、どんな音楽をきいて、どんなものを好んでいるかなんて誰も否定できない。
私もかつて乗っていた車をよく否定された。
スポーツカーに乗っていたのだが、それを社会人らしくないだの身分不相応だのと言われた。

そんなもの個人の勝手だ。
黙ってろ。

自分の好きなことや興味のあることを胸を張って好きだと言える自分でありたいし、誰かの趣味嗜好を否定せず受け入れられる自分でありたい。
そしてさらにその魅力を聞いて自分の興味も広げられるとなお良い。

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