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コミュニケーションの極意

「勝った人」がいれば「負けた人」もいる。「1位の人」「2位の人」あるいは「圏外の人」というふうに、みんな違う立場を経験している。自分の経験だけを信じているということは、自分だけにしか通用しない言葉で話しているのと同じだ。

世の中は「他者との関係性」で形成されている。他者に自分の話を理解してもらうには「立場」を考えなければならない。自分がどこに立っていて、どこに立っている人に向けて話しているのか。もちろん地理的な座標の話をしているのではない。境遇や立場の話である。

これまで1度も負けたことのない「強者」の立場にいる人の悩みを、まったく勝てない「弱者」は理解できない。アラブの石油王は、昼食の値段を100円ケチるかどうかで迷っている人の気持ちを理解できない。とうぜんその逆もまたしかりで、100円をケチる人が石油王の金使いを理解することもできない。

例が極端ではあるが、要するにすべての他者は、まるで違う考え方をしている生き物だと考える必要があるのだ。違いの大小はさまざまだが、自分とは考え方が違うのは確かだ。

たとえ価値観が近い友達でも親は違う。親が同じ兄弟でも、長男と次男で立ち位置が違う。そう考えると、まったく同じ立場にいる人間は自分だけなのだとわかる。境遇が近いとか価値観が近いという人はいても、まったく同じになることはない。自分の経験上の目線だけで発言しても伝わらないのである。

まずは相手の立ち位置を洞察するため、相手の話に耳を傾ける。こちらから理解するよう努めることが大切である。相手の経験してきたこと、相手の歩んできた道から育ってきた「価値観」を見るのだ。相手の価値観に記述されている善悪、哲学、思想、概念、習性など、本質的なアイデンティティとコミュニケーションするのだ。

何も悪いことをしていないつもりなのに、なぜ恨まれているのか。親切でやった行為なのに、なぜ迷惑がられているのか。そういう心当たりがあるなら、自分の「立ち位置」に執着している可能性がある。

自分の立ち位置に執着するあまり「相手が間違っている!」と勝手に思い込んで腹を立てるのは最悪だ。それこそ他人からは「逆恨みヤロウ」という印象を持たれるだけ。相手に不快感を与えるばかりか自分も損をしてしまうため、ひとつも良いことがない。

相手の人生を想像したとき、途中で自分みたいなやつが現れたら、どういう振る舞いが望ましいかを考えてみよう。この「想像力」が、自分の価値観だけではたどり着けない場所まで連れて行ってくれる。

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