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きのこたけのこ論争と、数字と感覚
MEIJIの超ロングヒット商品で、「きのこの山」と「たけのこの里」というお菓子がある。人気を二分するこれらの商品は、しばしばどちらが好きかという議論になる。いわゆる「きのこたけのこ論争」というやつだ。
この「きのこたけのこ論争」について、ひろゆきが動画で持論を展開していたのを見た。彼の理論によると、「きのこの山」の方がチョコレート部分が多いから「たけのこの里」を選ぶ人はナンセンス。みたいな理論だった。
私は「たけのこの里」のほうが好きだったので、すこし反論してみようと思う。
たしかに原価が高いであろうチョコレートの量で比較するなら「きのこの山」を選択するのが妥当である。でもチョコレートを食べたいなら、わざわざビスケット付きのチョコレートを選択する理由はない。
「きのこの山」と「たけのこの里」はチョコレートとビスケットのハーモニーを楽しむお菓子なのだ。それならばビスケットについても考慮するべきである。
そしてビスケットに関して言えば、私は圧倒的に「たけのこの里」に軍配が上がると思っている。なぜなら「たけのこの里」はクッキーで「きのこの山」のビスケット部分はクラッカー。クッキーの方が甘くてチョコレートと合っている。
マリアージュという点から考えても「たけのこの里」は秀逸で、チョコレートとクッキーを同時に食べたときの一体感がある。
「きのこの山」はチョコレートとクラッカーの食感が違いすぎて、相乗効果のかけ算を感じない。むしろチョコレートのところだけ食べたいと思っていた子供のころの記憶がよみがえってきた。
要するに、原価のコスパなら「きのこの山」、ハーモニーなら「たけのこの里」ということになる。これが私の個人的な結論だ。
数字で比較するコストパフォーマンスは答えが明確である。それに対して感覚的な部分は数値化できないので比較がむずかしい。感覚的な部分には個人差があるため、答えも複数ある。
数字がものをいう資本主義社会においては、ひろゆきのようにコスパ至上主義の考え方をしたほうが成功する確率は高い。依然としてビジネスの世界では欠かせない考え方である。
だからといって生活のすべてをビジネスの色メガネで見るのはちょっとつまらない。コスパが悪くても美味しい方を選択したい。そんなときは数字よりも感覚を優先したほうが精神的な豊かさを得られる気がするのである。
数字そのものは本質ではなくて、それぞれが異なる感覚を持った人間同士のやりとりこそが本質であると私は考えている。
なので資本主義の次は「感覚の時代」が来るのではとひそかに期待している。
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