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老い

町山智浩くんが以前たまむすびで解説していた「幸福~しあわせ」という映画の話で、幸福とはなんなんだろうという、とてもルノワールやモーツァルトの画面の美しさと背景に不気味に流れていく不穏な空気感。これは最後になって本当に恐ろしく、身も震える落とし穴のなかに永遠にとじこめられたような、誰にでもあるとはいえない、幸せというものがいかに怖いものかということを思い知らされたことがある。
「人は女にうまれるのではない、女になるのだ」で知られるシモーヌ・ド・ボーヴォワールに言わせれば、「恋する女の最高の幸せは、恋する最愛の男の一部としてみとめられることとある」…映画を観てもらえばわかるが、身を切り刻まれるほど辛いエンディングが待っている。しかもそれを男(主人公・フランソワ)はまるでわかっていない。なおさらやり場のないむせかえるような男の感情に自分も胡坐れてしまうほどだ。
して、そのボーヴォワールの老いについて書かれた本の解説を上野千鶴子さんの解説で、テレビで観させてもらったことがある。ここで彼女の言い放った言葉は「人が60歳を過ぎて書くものは、二番煎じのお茶ほどの価値もない」と喝破する。
果たしてそうだろうか、記憶、発想、各々抱えるそれぞれの疾患などいろいろな条件がマイナス方向へ向かうとみな思っている老化というものだが、それをプラスに替えていくのも年よりのずるがしこいアイデアではないのか。そんなことをふと思い、ここに書こうと思ったきっかけは、ボーヴォワールは、なにかの話のきっかけの対応でそういう返答をしたことが現在も残されていると思っているのだが、体力の衰えはいざ知らず、いま猛然と新しいものに取り組みたいという意欲に包まれていて仕方ないのだ。
これはただのバカなロック屋だからこんな気勢だけあげてるものかと思う人もいるだろうが、本当に燃えるような生きがいに包まれて幸せなのか不幸せなのか自分でもカオス状態になっているのが事実。
確かに、ボーさんのいうように出来上がったとしても、二番煎じ三番煎じのお茶の価値さえないのかもしれないが、結果はどうあれ、やりたいことはやりたいのだ。
やりたいことをやりつづけることが、オレのロックなんだろっ!と、さらに自分に問いかけたい、こうもり傘とミシンはないがベッドの上のパーラーなのだ。


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