「天使のらくがき」ダニエル・ビダル
初期頭脳警察のときに楽曲の著作権登録というのをしなかった。
自分の作品で日本音楽著作権協会をもうけさせるのが嫌だったからだ。
しかし現実は違った。
レコードのプレス枚数によりレコード会社からJASRACに徴収だけされていたとわかり、それはいかんなと思っていたところ、初期ZK解散と時期を同じくして、ちょうど仲の良かった青山音楽事務所のI氏が登録作業を一手に引き受けてくれた。
そしてその山積みの実務をこなしてくれたのが、この業界に入ったばかりの新人、のちにARBオフィスの頭となるFくんであったのはごくごく内輪の知れた話。
そしていろいろと事務所と付き合うなかで、ある日、そのI氏から緊急電話が入り、明日までダニエル・ビダルの曲を書いてくれという依頼が入った。
当時、その半端でない可愛さでテレビなどに出演しまくっていたモロッコ生まれのフランス人。シャルル・アズナブールにスカウトされ、日本で「オーシャンゼリゼ」、「ピノキオ」、「カトリーヌ」などのヒットを飛ばしているお人形さんのようなアイドル歌手だ。
そのダニエルの曲を書いて明日スタジオまで持ってきてくれという無茶な注文を快諾し、さあと作業に向かい始めると、また電話が入り、その曲に詞もつけてくれという催促。
これは大変だ、大学でフランス語を専攻はしたものの、ヘルメットをかぶったり石を投げにいったりしていただけで、実際の授業には一時間しか出ていない。
さあそれからが大変だった。
フランス語の辞書と取っ組み合いの徹夜作業。
なんとか書き上げた「愛は世界を駆け巡る」という曲をスタジオへ届け、ダニエルに殴り書きの歌詞を見せると、笑みを浮かべながら、「あっ、間違ってる」という可愛い指摘が入ってしまった。
そりゃそうだろ。一時間しか仏語の授業を受けていない男が徹夜で書いたのだ。「間違っているとわかるなら、自分で直してくれ」と心の囁きが聞こえたのかどうか知らないが、その後、その曲は彼女がフランスへ持って帰ってしまい、形になったのかどうかは、誰も知らない。
そんな与太話をしながら、話したかったのは彼女の「天使のらくがき」という邦題がついているデビュー曲。
原題は「Aime ceux qui t’aiment~汝を愛するものたちを愛せ」というロシアの歌手エディタ・ピエーハの曲に仏語の歌詞を乗せ発売されたもの。
「ウクライナでは家々の灰色の扉にこんな言葉が記されている、「ひとたび友として、この扉をくぐった人は、いつでもまた戻っていらっしゃい」…と。
彼女が日本語で歌うこの「天使のらくがき」はどうでもいい歌詞がついているが、ぜひこの仏語バージョンを聴いてほしいと願うばかり。
このウクライナとロシアのせめぎあいのさなかに、アイドル歌手ダニエル・ビダルの歌うこんな歌もあったのだと。